夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

歌学び、初学び (その二十)

2015-02-11 23:15:48 | 短歌
今月の「初心者短歌講座」の前半は、若山牧水の処女歌集『海の声』(明治41年)について、先生の解説。

今回、『海の声』から取り上げられたのは、次の十首。

①白鳥(しらとり)は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ
②ああ接吻(くちづけ)海そのままに日は行かず鳥翔(ま)ひながら死(う)せ果てよいま
③山を見よ山に日は照る海を見よ海に日は照るいざ唇(くち)を君
④手をとりてわれらは立てり春の日のみどりの海の無限の岸に
⑤春の海さして船行く山かげの名もなき港昼の鐘鳴る
⑥人といふものあり海の真蒼(まさを)なる底にくぐりて魚(な)をとりて食(は)む
⑦山恋しその山すその秋の樹の樹(こ)の間を縫へる青き水はた
⑧母恋しかかる夕べのふるさとの桜咲くらむ山の姿よ
⑨酒の香の恋しき日なり常磐樹(ときはぎ)に秋のひかりをうち眺めつつ
⑩秋の灯や壁にかかれる古帽子袴のさまも身にしむ夜なり


以下、先生がそれぞれの歌について評していた言葉を摘記しておく。

①牧水の名を高からしめた歌で、当時はまだ早稲田大の学生で(明治40年)、23歳くらいだったはず。
よく、この白鳥(鴎などの白い海鳥)が海に浮いているか、空を飛んでいるかが議論になるが、どちらでもよい。
牧水は九州・宮崎の出身で、東臼杵郡坪谷(つぼや)村、耳川の上流に実家がある。その付近にある尾鈴山は、終生牧水の脳裏にあった。

②口づけに感激するあまり、海も太陽も動きをやめ、鳥も飛んだまま死んでしまえと言っている。これは、牧水が房州を旅行したときの歌で(明治40年)、同行した相手は園田小枝子という女性だった。

③「君」は普通、女性から男性に使う言葉だが、この頃から男性から女性に対しても「君」を使うようになってきた。近代的な言葉遣い。

⑤「名もなき港」はないはずだが、さして有名でもない、名も知らぬ小さな港だったのだろう。春の海の沖の方を目指して行く船がある。
頼みにならないものを歌の中に連ねて、人間や生の不安を歌っている。

⑦山も、青い水もまた恋しいの意味。牧水には、山が大きく支配しているところがある。後年、静岡の沼津に住むが、『みなかみ紀行』に書いているように、利根川の水源をたどって山から山へ、温泉から温泉へ(牧水は温泉も好きだった)ずっと旅している。今のようなバスも鉄道もない時代に。

⑧故郷の山も母親も恋しいと言っているが、牧水はお母さん子であり、「牧水」というペンネームも母・マキの名を取ったもの。(本名は繁。「水」は、牧水の愛した故郷の渓や雨をさす。)中林蘇水・牧水・北原白秋(当時、「射水」の号を使用していた)の三人を、早稲田の三水と呼んでいたそうだ。

⑨牧水といえば酒と旅だが、その酒が命を縮めることになった。とにかく、明けても暮れても飲んでおり、死んでも遺体が腐らなかったという。まあ、伝説のようなものだろうが。

⑩牧水の歌集『別離』を読んでいると、嫌になるほど恋の歌ばかり。ええかげんにせえ、と言いたくなる。頁を繰っても繰っても恋の歌で、よくやるよと思う。
しかし、石川啄木と並んで、ここから日本の新しい歌が出てきた。与謝野晶子も北原白秋も前田夕暮もいるが、牧水は突出している。近代短歌の転回点に立っている人。大学を卒業してついに定職に就かず、酒飲んで旅して歌作って…。幸せだったのか不幸せだったのか。

岡山県新見市の二本松峠には牧水の歌碑があるのだが、牧水を顕彰して毎年歌碑祭が行われているようだ。
どうやら今年は先生が基調講演を頼まれているとのことだったが、その通りに実現するなら、ぜひ聴きに行きたい。
先生のお話で、若山牧水に俄然興味が湧いたので、現在吉備路文学館で開催中の若山牧水展に行ってしまった。
その話題は、また後日に。

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