CAOS=ひゅうまんすけぇる

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紀州の殿様 やりすぎ!

2014-08-06 | 日記・エッセイ・コラム

 御三家で

55万石の殿様なら、

100年経っても領民の祖先から

自慢に思われても良さそうなのに、

和歌山県民が 「 うちの殿様 」 を

誇りに思ってるように感じたことがあまりなくて、

何となく不思議でした。

 和歌山市内の人は、

他の地域の人よりお城に対しての愛着はあるようですが、

それも、

小さなころに遊んだとか、

おじいちゃんによく連れて行ってもらった。

みたいな感じで、

殿様に対しての想いではなさそうなんですね。

 

 ほかにもそんな風に感じていた人がいたようで、

司馬遼太郎が 『 街道をゆく 』 のシリーズの

P1060991

『 壱岐 ・ 対馬の道 』 のなかで、

紀州人が一般に

徳川家を懐かしまない理由はここにあるという説がある。

と説明しているのを見付けました。

 

 年貢米の取り分は、

江戸時代初期は 四公六民の割合 で、

農民の取り分が六割だったのが、

時代がくだるにつれて

六公四民 の割合が普通になった。

紀州徳川領はもっとひどくて、

八公二民 の割合で搾取されていたということだそうです。

 

 将軍家の直轄領では初期の税率が守られていた。

そうなので、

これでは、「 うちの殿様 」 に思い入れがないのは

仕方ないかも知れません!

 

 

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
『八公二民』ですか。 (coo)
2014-08-08 09:54:46
『八公二民』ですか。
その八公が地域の文物として全く残らずに
今に至ったようですね。
返信する
そうなんでしょうね。 (CAOS)
2014-08-09 00:53:05
そうなんでしょうね。
加賀の前田さんちの殿様は気の毒な立場だったらしいけど、今それがとってもいい結果になってますもんね。
返信する

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