ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

4/7日 蒲郡の御堂山・砥神山・相楽山 その7(最終):相楽(さがら)山から車道を歩いて下山する。

2015-04-15 07:47:39 | 草花
この記事にて、このシリーズの最終といたします。

四月は手元不如意となり、花粉症のこともありますので動きが小規模になっています。
尤も資金不足はいつものことなのですが、この四月はそれに輪をかけていて、動きが大分制限されてしまいました。
アベノミクスの効果や恩恵は残念ながら我が身周辺にはサッパリ届いてきませんから、最近は政治家の言うことは聞き流すようになってしまいましたね。

笑点の大喜利で、桂歌丸師匠が飛行機で政治家と乗り合わせたときに、降りしなに政治家が師匠に「政治家の悪口をあまり言うなよ」といったそうですが、師匠は「悪口言われるような政治をするな」とやり返したという話を披露していました。

「民主主義とは時間が掛かるもの・・・」とは故三宅久之さんが良く口にしていましたが、この国は本当に民主主義なのか、果たしてそれを本当に目指しているのかどうかと考えてしまいますね。

そしてなによりも、日本が元気をなくして、退潮傾向のように感じられるのは気がかりですね。

シリーズの最後をレポートします。

荒井古墳 ↓



荒井古墳は縄文期の横穴式石室です。
ここでは天井石を失った石室がご覧のように露出して、半分は土に埋まって草生してしまっていますが、規模は2m程度の小さな石室で、奥壁には1枚石を用いています。
誰が埋葬されているかとかそれ以上の細かいことは分かっていません。



”山頂”? ↓

このあたりが相楽山の”山頂”のようです。しかしながらここは潮見展望台より低いようです。



イズセンリョウ ↓

山腹の広場に下りてきました。林縁にイズセンリョウが生えていますが、これも植栽か?と疑っておきます。



全福寺跡地 ↓

全福寺の起源は700年代の前半になるということで、全盛期には12僧院を備えた、天台宗の修行道場であったそうです。1470年に戦禍に遭い、荒廃し、今日まで来たようです。
この地には当時の礎石が現存しています。




オオシマザクラ ↓

ざっと見終わりましたので、下山することにしました。帰りは車道を使います。道の脇に桜の花が咲いていますが、色がそっけないほどに白い花でした。



ミツバツツジ ↓

道脇ですので、どうやら植栽ではないかと思っています。



海がチラリ ↓

木々の間から海が覗けるところもありました。



トキワアケビ ↓

トキワアケビは何度も見ましたが、すべて花には早かったものばかりでした。



テンナンショウ属 ↓

これからの時季は、テンナンショウ属の花を、随所で見かけるようになります。



車道歩き ↓

結局、雨の平日ということもあって、この道を歩く間中、誰とも、どの車にも出合うことはありませんでした。



ゼンマイ ↓

数が少ないので採ることなく、そのまま通り過ぎます。



山裾の景色 ↓

やや開けて、裾の景色が見えました。少し前には蜜柑の木で埋め尽くされた斜面でしたが、様変わりしています。



ヤマザクラ ↓

そんな場所ではヤマザクラの花の存在感が目立ちます。



下を向いてお花見 ↓

まずは下を向いたお花見です。



上を向いて ↓

見上げて未だ残っている花を楽しみましょう。



ミツバアケビ ↓

ミツバアケビの花が咲いています。 これなら秋には実りそうです。



出発地点 ↓

周回が終わり、出発地に戻りました。



赤黒い花 ↓

これも園芸種ですね。ヤブツバキの赤黒い花が咲いています。



下山 ↓

午後二時前に下山完了です。お天気は思わしくなかったのですが、花には適当に出会えて、上出来の山行となりました。
コメント (2)
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