#photobybozzo

沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

【Feb_20】一神教とは?

2013-02-20 | Mement_Mori
芸術や宗教が「こころ」を形成する。
だからおざなりにしてはいけない…と語ったのは平田オリザだったが、

ニッポンは戦後から今まで、
芸術や宗教はある特定の人間が関わる事物として、
辺境に追いやってきたように思う。

それはすべて「敗戦」時の身の処し方がトラウマとなって
現代にまで尾を引いているからなのだと、ボクは思うのだけど。
著作権期限を戦勝国には10年延長の謙り方にもそれは出ている)

アルベール・カミュの「異邦人」を舞台で観て、
カミュが伝えようとした「’不条理」が表現されていなかったこと。
それに加え映画「最初の人間」で、
カミュが、キリスト教における「贖罪」の在り方そのものを否定していたこと。
カミュが、アルジェから眺める地中海の水面と降り注ぐ太陽を愛したこと。

そして最近、「ふしぎなキリスト教」を読んだこと。

そういった点から、カミュの置かれていた背景をもっと見極めるべきではないか…と思い、
この一週間、考えを巡らせていた。

レヴィナスの「存在するとは別の仕方で」における「隣人」の捉え方、
カミュ「異邦人」でマルソーが司祭に吐く「逆説的な生への謳歌」、
そのどちらにも西洋の基盤となる「一神教」が大きく影を落としている。

一神教とはそもそもなんなのか?

ユダヤ教における「ヤハウェ」の神が一神教のはじまりだ。
ユダヤの民は古代から己の土地を失い、寄留者で在り続けた。
いつも虐げられ争いが絶えず、神に祈りを捧げるも状況は好転しない。

納得がいかない。自分たちにどんな非があるというのだ。

そこでユダヤの民は神の視点になって考えた。
神がこの世界を創造し、人間をつくった。
数ある人間の中からユダヤの民を選び、神はわたしたちに「試練」を与えた。
「試練」に耐え、神の創造物たらんとすることで、
やがて来る「裁きの日」においてユダヤの民は救われるのだ。

逆転の発想。

どのような悪況に置かれようとも、全知全能の神を崇め、
神のメッセージを受け取るべく、不断の信仰を送れば「救われる」。

しかし、「裁きの日」まで「救われる」ことは、ないのだ。
しかも、「救われる者」もあらかじめ、決まっている。

これが一神教の非常にややこしいところで、
日本人の「御利益を求める信仰心」では、到底理解が及ばない。

「救う」「救われない」の枠組みでは常に「神の目」が存在してしまう。

「神は常に見ている」という戒律の中では、行為すべてが神の裁きに依存する。
「依存する」とはつまり、「裁き」に身を捧げることと同義。

全知全能である神は、全てを知っている(全知)。全てを分かっている(全能)。
だから「依存」しようがしまいが、答えはあらかじめ「出ている」のだ。
信仰とは、つまり神に依存せず己の行為すべてに責任をもつことで、
来るべき「神の裁きの日」から逃れること…神の支配の外に立つことに他ならない。

これが本来の一神教の考え方。(レヴィナスやカミュはこちら)

しかし、そうは言っても人間は弱い存在。
現世に救いを求めたい。生きる意味を見出したい。
そこで出てきたのが「原罪」と「贖罪」という考え方。

これは次回。






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【Feb_17】黄金町

2013-02-18 | Photo-diary
公衆トイレもレトロ。
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【Feb_06】川口隆夫_“perfect_life”

2013-02-12 | DANCE
恵比寿映像祭にて

【on_Flickr】0206_perfect_life
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【Feb_09】鳩森八幡神社

2013-02-10 | Photo-diary
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【Feb_10】浮揚する日本丸

2013-02-10 | Photo-diary
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【Feb_10】中村蓉

2013-02-10 | DANCE
ヨコハマダンスコレクションEX_2013
コンペティション1「作品部門」

【on_Flickr】中村蓉「別れの詩」
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【Feb_09】荒悠平

2013-02-10 | DANCE
ヨコハマダンスコレクションEX_2013
コンペティション1「作品部門」

【on_Flickr】荒悠平「こんにちわ」
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【村越襄】蓮華幻相

2013-02-07 | ART
1989年に開催された
同個展のDM。
24年の月日が流れる。

村越襄「蓮華幻相」
@茅ヶ崎市立美術館


仏説摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。
舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。
受・想・行・識亦復如是。舎利子。
是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。
是故空中、無色、無受・想・行・識、
無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。
無眼界、乃至、無意識界。
無無明、亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。
無苦・集・滅・道。無智亦無得。
以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、
無罣礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃。
三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。
故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、
是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。
故説、般若波羅蜜多呪。
即説呪曰、羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶。

                    般若心経

ぎゃていぎゃていと、破綻するあたりが、心経の魅力だ。

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【Feb_05】村越襄

2013-02-06 | Photo-diary
photo by 操上和美

村越襄「蓮華幻相」展
茅ヶ崎市立美術館
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【Feb_05】茅ヶ崎_02

2013-02-06 | Photo-diary
高砂通りの看板
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【Feb_05】茅ヶ崎_01

2013-02-06 | Photo-diary
茅ヶ崎市民文化会館
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【Feb_03】川村美紀子

2013-02-06 | DANCE
【on_Flickr】0203_euphoria

川村美紀子ブログ
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【Feb_03】euphoria

2013-02-06 | DANCE
【on_Flickr】0203_euphoria
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【Feb_03】Antti Seppanen

2013-02-06 | DANCE
ヨコハマダンスコレクションEX_2013
海外フェスティバル交流プログラム フィンランド編

【on_Flickr】0203_euphoria
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【Feb_04】殿号

2013-02-04 | UNITE!NIPPON
写真は、乃木大将の愛馬「殿(しんがり)号」

      ●

 欧米の研究者の間では、日本の治安がいいのは日本人が
 【罪を憎んで人を憎まず】と寛容な上に順法意識が高いからで、
 それは刑事司法に対する信頼の高さに裏打ちされていると考えられてきました。
 
 ところが実際に世界各国との比較調査をやってみたところ、
 日本人は司法に限らず行政全般に対する信頼がとても低い。
 それなのに逸脱行動は極端に少なく、【悪いことをすると罰を受ける】
 と思っている人の割合は、英独仏を上回りトップです。

 刑事司法を信頼していないのに、なぜ悪いことをすると罰を受けると思っているのか。

 (中略)

 日本人がそう思うのは、地域コミュニティや会社コミュニティなど【仲間内】での
 相互監視にさらされているからだと考えられます。
 村八分になるのは怖いのだから他人も怖いだろう、だから変なことはしないはずだ…という
 意識の集積が【安心社会】を築き、それによって日本の治安は守られてきたのかもしれません。

 それは他者に対する信頼をもとに築かれた社会とは根本的に違います。

 だからこそ、仲間ではない人間に対する警戒心が強く、排他的です。
 【赤信号みんなで渡れば怖くない】と、その裏返しとしての【人を見たら泥棒と思え】。
 このふたつが、日本社会のありようを端的に示しています。

 〔中略)

 ただ、先ほどの国際比較調査で
 【他人とどれくらいつきあっているか】【どれくらい社会活動に参加しているか】
 という質問もしているのですが、日本はどちらも少ないと回答する人がダントツに多い。
 そもそも他人と触れあっていない中で、他者への信頼を育もうと言ってもムリでしょう。

 昨今の学校現場でのいじめに刑事司法が介入していく現状を見ても、
 【安心社会】を外側から補修しながら対策を進めていく公算が大きいのではないでしょうか?
 短期的にはそれで仕方がない面もある。ただ、本当にそれが私たちが望む社会なのか、
 一度きちんと考えてみる必要があると思います。

              (「刑務所から見えるもの」…犯罪学者・浜井浩一さん)

      ●

昨日は節分の日。

「鬼は外 福は内」とまるで「鬼」が悪者のような振る舞いだけど、
「鬼」は「神」の影のような存在。陰陽の「陰(おん)」が変化した言葉だ。
「神」のお姿を間接的に表す「御影」と同義。

太古の昔は、畏れ奉る存在として確立されていた「神」。
悪い出来事も良い出来事もすべて神の思し召しとして受け止めていた。
…というのも、自然そのものが神と同義であったから。

自然に含まれる存在として自分たちを見定め、
畏れることを良しとしていた人間社会。

いまでは犯罪学者曰く、法で人間を縛る社会に。
堕ちるところまで堕ちるつもりだろうか。
奢れる一握りの民のために、社会がどんどん住みづらくなっている。
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