写真は、乃木大将の愛馬「殿(しんがり)号」
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欧米の研究者の間では、日本の治安がいいのは日本人が
【罪を憎んで人を憎まず】と寛容な上に順法意識が高いからで、
それは刑事司法に対する信頼の高さに裏打ちされていると考えられてきました。
ところが実際に世界各国との比較調査をやってみたところ、
日本人は司法に限らず行政全般に対する信頼がとても低い。
それなのに逸脱行動は極端に少なく、【悪いことをすると罰を受ける】
と思っている人の割合は、英独仏を上回りトップです。
刑事司法を信頼していないのに、なぜ悪いことをすると罰を受けると思っているのか。
(中略)
日本人がそう思うのは、地域コミュニティや会社コミュニティなど【仲間内】での
相互監視にさらされているからだと考えられます。
村八分になるのは怖いのだから他人も怖いだろう、だから変なことはしないはずだ…という
意識の集積が【安心社会】を築き、それによって日本の治安は守られてきたのかもしれません。
それは他者に対する信頼をもとに築かれた社会とは根本的に違います。
だからこそ、仲間ではない人間に対する警戒心が強く、排他的です。
【赤信号みんなで渡れば怖くない】と、その裏返しとしての【人を見たら泥棒と思え】。
このふたつが、日本社会のありようを端的に示しています。
〔中略)
ただ、先ほどの国際比較調査で
【他人とどれくらいつきあっているか】【どれくらい社会活動に参加しているか】
という質問もしているのですが、日本はどちらも少ないと回答する人がダントツに多い。
そもそも他人と触れあっていない中で、他者への信頼を育もうと言ってもムリでしょう。
昨今の学校現場でのいじめに刑事司法が介入していく現状を見ても、
【安心社会】を外側から補修しながら対策を進めていく公算が大きいのではないでしょうか?
短期的にはそれで仕方がない面もある。ただ、本当にそれが私たちが望む社会なのか、
一度きちんと考えてみる必要があると思います。
(「刑務所から見えるもの」…犯罪学者・浜井浩一さん)
●
昨日は節分の日。
「鬼は外 福は内」とまるで「鬼」が悪者のような振る舞いだけど、
「鬼」は「神」の影のような存在。陰陽の「陰(おん)」が変化した言葉だ。
「神」のお姿を間接的に表す「御影」と同義。
太古の昔は、畏れ奉る存在として確立されていた「神」。
悪い出来事も良い出来事もすべて神の思し召しとして受け止めていた。
…というのも、自然そのものが神と同義であったから。
自然に含まれる存在として自分たちを見定め、
畏れることを良しとしていた人間社会。
いまでは犯罪学者曰く、法で人間を縛る社会に。
堕ちるところまで堕ちるつもりだろうか。
奢れる一握りの民のために、社会がどんどん住みづらくなっている。
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欧米の研究者の間では、日本の治安がいいのは日本人が
【罪を憎んで人を憎まず】と寛容な上に順法意識が高いからで、
それは刑事司法に対する信頼の高さに裏打ちされていると考えられてきました。
ところが実際に世界各国との比較調査をやってみたところ、
日本人は司法に限らず行政全般に対する信頼がとても低い。
それなのに逸脱行動は極端に少なく、【悪いことをすると罰を受ける】
と思っている人の割合は、英独仏を上回りトップです。
刑事司法を信頼していないのに、なぜ悪いことをすると罰を受けると思っているのか。
(中略)
日本人がそう思うのは、地域コミュニティや会社コミュニティなど【仲間内】での
相互監視にさらされているからだと考えられます。
村八分になるのは怖いのだから他人も怖いだろう、だから変なことはしないはずだ…という
意識の集積が【安心社会】を築き、それによって日本の治安は守られてきたのかもしれません。
それは他者に対する信頼をもとに築かれた社会とは根本的に違います。
だからこそ、仲間ではない人間に対する警戒心が強く、排他的です。
【赤信号みんなで渡れば怖くない】と、その裏返しとしての【人を見たら泥棒と思え】。
このふたつが、日本社会のありようを端的に示しています。
〔中略)
ただ、先ほどの国際比較調査で
【他人とどれくらいつきあっているか】【どれくらい社会活動に参加しているか】
という質問もしているのですが、日本はどちらも少ないと回答する人がダントツに多い。
そもそも他人と触れあっていない中で、他者への信頼を育もうと言ってもムリでしょう。
昨今の学校現場でのいじめに刑事司法が介入していく現状を見ても、
【安心社会】を外側から補修しながら対策を進めていく公算が大きいのではないでしょうか?
短期的にはそれで仕方がない面もある。ただ、本当にそれが私たちが望む社会なのか、
一度きちんと考えてみる必要があると思います。
(「刑務所から見えるもの」…犯罪学者・浜井浩一さん)
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昨日は節分の日。
「鬼は外 福は内」とまるで「鬼」が悪者のような振る舞いだけど、
「鬼」は「神」の影のような存在。陰陽の「陰(おん)」が変化した言葉だ。
「神」のお姿を間接的に表す「御影」と同義。
太古の昔は、畏れ奉る存在として確立されていた「神」。
悪い出来事も良い出来事もすべて神の思し召しとして受け止めていた。
…というのも、自然そのものが神と同義であったから。
自然に含まれる存在として自分たちを見定め、
畏れることを良しとしていた人間社会。
いまでは犯罪学者曰く、法で人間を縛る社会に。
堕ちるところまで堕ちるつもりだろうか。
奢れる一握りの民のために、社会がどんどん住みづらくなっている。