「春の雪」の儚さに美学を昇華した三島文学の金字塔だけど、この現實を鳥瞰し、
不可解なものとして突き放す感覚は、彼の一貫した立ち位置だったなぁと改めて。
カミュの「世界の無意味性の自覚」に近いものがあるわ。
↓↓↓
この日、大和平野には、黄ばんだ芒野に風花が舞つていた。
春の雪といふにはあまりに淡くて、羽蟲が飛ぶやうな降りざまであつたが、
空が曇つてゐるあひだは空の色に紛れ、かすかに弱日が射すと、
却つてそれがちらつく粉雪であることがわかつた。
寒氣は、まともに雪の降る日よりもはるかに厳しかつた。
清顕は、しんしんと鳴つてゐる頭でこの風景に對しながら、
自分は實に何ヶ月ぶりかで外界といふものを見たと思つた。
それは實にしんとした場所だつた。俥の動揺と重い瞼とが、
その景色を歪ませ、攪拌してゐるかもしれないけれど、
悩みと悲しみの不定型な日々を送ってきた彼は、
こんなに明晰なものには久しく出會わなかつた氣がした。
しかもそこには人の影は一つもなかつた。
『俥のまま門を入つて、玄関先まで三町あまり、
そこも俥を乗り続けてゆけば、今日、聰子は決して會つてはくれぬやうな氣がする。
あるひは寺で、今、微妙な變化が起こつてゐるかもしれないのだ。
一老が門跡を説得し、門跡もつひに心折れて、今日もし僕が雪を冒して来たら、
聰子と一目なりとも會はせる手筈になつてゐるかもしれないのだ。
しかし、もし僕が俥を乗り入れれば、それが向うの心に感應して、
叉微妙な逆轉が起つて、聰子に會はせぬことに決るかもしれない。
僕の最後の努力の果てに、むかうの人たちの心に何かが結晶しかかつてゐる。
現實は今、多くの見えない薄片を寄せ集めて、透明な扇を編まうとしてゐる。
ほんの一寸した不注意で、要は外れ、扇は四散してしまふかもしれないのだ。
…一歩退いて、もし俥のまま玄関まで行き、今日も聰子が會つてくれないとすれば、
その時僕は自分を責めるにちがひない。
「誠が足りなかつた。どんなに大儀であつても、俥を下りて歩いて来てゐれば、
その人知れぬ誠があの人を博つて、會つてくれたかもしれないのに」と。
…さうだ。誠が足りなかつたという悔いを残すべきではない。
命を賭けなくてはあの人に會へないといふ思ひが、あの人を美の絶頂へ押し上げるだらう。
そのためにこそ僕はここまで来たのだ』
道のべの羊歯、藪柑子の赤い實、風にさやぐ松の葉末、
幹は青く照りながら葉は黄ばんだ竹林、夥しい芒、
そのあひだを氷つた轍のある白い道が、ゆくての杉木立の闇へ紛れ入つてゐた。
この、全くの静けさの裡の、隅々まで明晰な、そして云はん方ない悲愁を帯びた純潔な世界の中心に、
その奥の奥の奥に、まぎれもなく聰子の存在が、小さな金無垢の像のやうに息をひそめてゐた。
しかし、これほど澄み渡つた、馴染のない世界は、果してこれが住み馴れた「この世」であらうか?
(三島由紀夫『豊饒の海』第一巻「春の雪」より)
#photobybozzo
不可解なものとして突き放す感覚は、彼の一貫した立ち位置だったなぁと改めて。
カミュの「世界の無意味性の自覚」に近いものがあるわ。
↓↓↓
この日、大和平野には、黄ばんだ芒野に風花が舞つていた。
春の雪といふにはあまりに淡くて、羽蟲が飛ぶやうな降りざまであつたが、
空が曇つてゐるあひだは空の色に紛れ、かすかに弱日が射すと、
却つてそれがちらつく粉雪であることがわかつた。
寒氣は、まともに雪の降る日よりもはるかに厳しかつた。
清顕は、しんしんと鳴つてゐる頭でこの風景に對しながら、
自分は實に何ヶ月ぶりかで外界といふものを見たと思つた。
それは實にしんとした場所だつた。俥の動揺と重い瞼とが、
その景色を歪ませ、攪拌してゐるかもしれないけれど、
悩みと悲しみの不定型な日々を送ってきた彼は、
こんなに明晰なものには久しく出會わなかつた氣がした。
しかもそこには人の影は一つもなかつた。
『俥のまま門を入つて、玄関先まで三町あまり、
そこも俥を乗り続けてゆけば、今日、聰子は決して會つてはくれぬやうな氣がする。
あるひは寺で、今、微妙な變化が起こつてゐるかもしれないのだ。
一老が門跡を説得し、門跡もつひに心折れて、今日もし僕が雪を冒して来たら、
聰子と一目なりとも會はせる手筈になつてゐるかもしれないのだ。
しかし、もし僕が俥を乗り入れれば、それが向うの心に感應して、
叉微妙な逆轉が起つて、聰子に會はせぬことに決るかもしれない。
僕の最後の努力の果てに、むかうの人たちの心に何かが結晶しかかつてゐる。
現實は今、多くの見えない薄片を寄せ集めて、透明な扇を編まうとしてゐる。
ほんの一寸した不注意で、要は外れ、扇は四散してしまふかもしれないのだ。
…一歩退いて、もし俥のまま玄関まで行き、今日も聰子が會つてくれないとすれば、
その時僕は自分を責めるにちがひない。
「誠が足りなかつた。どんなに大儀であつても、俥を下りて歩いて来てゐれば、
その人知れぬ誠があの人を博つて、會つてくれたかもしれないのに」と。
…さうだ。誠が足りなかつたという悔いを残すべきではない。
命を賭けなくてはあの人に會へないといふ思ひが、あの人を美の絶頂へ押し上げるだらう。
そのためにこそ僕はここまで来たのだ』
道のべの羊歯、藪柑子の赤い實、風にさやぐ松の葉末、
幹は青く照りながら葉は黄ばんだ竹林、夥しい芒、
そのあひだを氷つた轍のある白い道が、ゆくての杉木立の闇へ紛れ入つてゐた。
この、全くの静けさの裡の、隅々まで明晰な、そして云はん方ない悲愁を帯びた純潔な世界の中心に、
その奥の奥の奥に、まぎれもなく聰子の存在が、小さな金無垢の像のやうに息をひそめてゐた。
しかし、これほど澄み渡つた、馴染のない世界は、果してこれが住み馴れた「この世」であらうか?
(三島由紀夫『豊饒の海』第一巻「春の雪」より)
#photobybozzo