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沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

【jan_20】畠山美由紀×奥原しんこ

2012-01-21 | ART
 私自身は宗教性ということをこんなふうに考えています。

 自分を無限に広がる時間と空間の中のわずか1点にすぎないという、
 自分自身の「小ささ」の自覚、そしてそれにもかかわらず宇宙開闢以来営々と続いてきた
 ある連鎖の中の一つの環として自分がここにいるという「宿命性」の自覚。
 この二つだろうと思います。
 
 吹けば飛ぶような粒子のようなものにすぎないのだけれど、
 にもかかわらず私には遠く理解の及ばないある連鎖の結果として、
 他ならぬこの時間にこの場所にいる。

 私はとりあえずある種の生命の運動の繋がりの末端におり、
 私を起点にして、さらにそれが続いてゆく。
 自分自身の存在の不確かさと確かさを同時に感じるということ、
 あるいは自分が存在することの偶然性と必然性を同時に感じるということ、
 それが宗教的体験ではないかと思います。

                 (宗教教育とはなにか/内田樹)


03/11の東北大震災は、自分が存在することの「偶然性」と「必然性」を
まざまざと見せつけた出来事だった。

昨日までの「わが美しき故郷」が、
文字通り根こそぎ剥ぎ取られ、瓦礫の山と化した。

気仙沼出身の畠山美由紀さんと奥原しんこさんも、
生まれ育った故郷の心象風景を震災で大きく損なった。

ふたりは云う。
「目のあたりにしてしまうと言葉を喪ってしまうだろうから、
 気仙沼を訪れる前に、書き留めたいと思った」


   わが美しき故郷よ
   受難の民よ
   寡黙で哀しき魂よ
 
   願う_この世は壮絶な苦しみでいっぱいだ ずっとずっとそうだったんだ
   祈る_今ここに自分がいるのはたまたまだ たまたま助かっているだけだ
   叫ぶ_でも どこに? どこに叫んでいいのか分からない

   すべての希望を断たれた人々
   全身全霊で助け合わなくてはいけないのだ
   そのために生かされてる
   この世はずっとそうだったんだ
   遅い 遅い いつでも遅すぎる
   こんなことになるまでそれをわからなかったわたしの愚かさを
   どうかお許しください
  
           (わが美しき故郷よ/畠山美由紀


昨日青山スパイラルで行われた畠山美由紀×奥原しんこトークイベント。
故郷を大事に思う、その深さでもって刻み込まれた「歌」と「絵」

自分がいるのはたまたまだ…という「偶然性」と
この記憶を語り継がなければ…という「必然性」のはざまで
大きく揺れ動き、根本から折れてしまうような苦悩の中で生まれた、珠玉の作品たち。

震災から10ヶ月を経て、昇華されたふたりの創造物は、
きっと永代まで語り継がれるだろう輝きでもって、そこに存った。

決して忘れない。忘れてはならない。
5年後、10年後も、この顫えをカラダに刻む。
それはつまり、自分の存在の「不確かさ」と「確かさ」を
この世に刻むことでも、あるのだから。




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