児童74名、教師10名、スクールバス運転手1名の犠牲を出した石巻市立大川小学校。
震災遺構としての保存が決まった。
ピースボートのボランティアで石巻に入ったとき、
作業場所がこの大川小学校の近くで、
その遠景を捉えることができた。
その後、ボク自身が負傷し、
救急に運ばれる惨事となったため、
訪れることが叶わなかったのだけど、
こうやって目の当たりにしてみると、
河口から5キロという距離の油断で、
子どもたちを呑み込んだ津波の威力に呆然とするばかり。
すぐ裏は山になっており、数名が辛うじて逃げ延びた。
ほんの数mの判断を、
津波到達までの50分間に決断出来なかったのが、
なんとも悔やまれる。
震災遺構としての保存が決まった。
ピースボートのボランティアで石巻に入ったとき、
作業場所がこの大川小学校の近くで、
その遠景を捉えることができた。
その後、ボク自身が負傷し、
救急に運ばれる惨事となったため、
訪れることが叶わなかったのだけど、
こうやって目の当たりにしてみると、
河口から5キロという距離の油断で、
子どもたちを呑み込んだ津波の威力に呆然とするばかり。
すぐ裏は山になっており、数名が辛うじて逃げ延びた。
ほんの数mの判断を、
津波到達までの50分間に決断出来なかったのが、
なんとも悔やまれる。