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沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

【Nov_26】僕たちは他人の祈りについてどれだけ誠実でいられるか。

2016-11-27 | ACT!
Ammo_vol.3
『僕たちは他人の祈りについてどれだけ誠実でいられるか(仮)』@Space早稲田


イスラム原理主義を作った男の話から、イスラム原理主義に改宗した兄の話まで4作品を一挙に観劇。
「他者への理解は踏み出したときに始まっているのではないか」という当パンのコトバどおり、
1966年「イスラム原理主義」を起こし処刑されたサイイド・クトゥプの話から、
英国人のジェームスが改宗し「イスラム原理主義者」となる現代の話まで、

ムスリムの中でも特に物質主義&平等自由主義の西欧の価値観に
警鐘を鳴らしたファンダメンタリストたちに焦点を当てていて、

特にサイイド・クトゥプが死刑を前に世を憂える大原研二さんの『殉教者』には、胸詰まる感動があった。
世界はもっと完全なものとして在るはずだ…、その完全さを為し得るのはイスラームの「システム」だけだ…という、
物質主義へのアンチとして提示される「システム」という発想が、そもそも間違いだし、
「ジャーヒリーヤ=無知な社会」として真のイスラーム以外は「義しさ」を持ち合わせていない…とする
一面的な見方にも居心地の悪さが残るのだけど、

欲望に邁進し、利己的に振る舞い、強者こそが自由を勝ち取る…
とする現状の資本主義体制を糺そうとした指向は肯けるものがあった。

その葛藤が非常に分かりやすいカタチで描かれていたのが『兄はイスラム原理主義者になった』で、
キリスト教社会で弱者と目されていた兄が、その社会の根本が間違っているのだと改宗するくだりは、
日本の抱える病巣となんら変わることがなく、
オウム真理教や幸福の科学などの宗教観や相模原事件と相通ずるものがあると合点した。

しかし、キリスト的物質社会とイスラーム的精神社会、
そのどちらもが人間至上主義な考えであり、
アニミズムやシャーマニズムに通底する「人知の及ばない世界がある」という
謙虚な姿勢が大きく欠けていることこそが問題なのである…という
結論が見いだせたことが何よりも収穫だったように思う。

人間も自然の一部とする無常観=自然はすべての生物に対して無関心である
というその突き放した感覚さえあれば、

どちらに対しても利己的な思惟が含まれていることに気づくのではないか。
そんな思いで早稲田を後にした夜。

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