すべての固有な真価(ワース)が失われたということは、
絶えず変化する需要と供給の評価と無関係な客観的な価値(ヴァリュー)を持つ者はもはや姿を消し、
すべてのものが別の等価のものと取り替えることができるということである。
(「人間の条件」ハンナアレント著)
そのものが本来持つ真価(ワース)を失うとは、すべてが市場の価格(プライス)で判断される…ということ。…それが資本主義である。
そして、今回の集団的自衛権の閣議決定により、政治もまた真価を持たないものに成り下がったことを示した。
真価(ワース)とは、比類ない価値であり、個がもつ絶対的価値である。
価格(プライス)とは、相対的な価値であり、市場判断で上下する市場価値である。
集団的自衛権を推進する側の売り文句は、PKOであり、日米同盟であり、海外基準である。
日本の対外関係においての立場を主張する「立場主義」に終始する。相対的な判断である。
基軸を持たないから憲法解釈も大きく動く。
ひとつの法が多様に解釈される…ということは、すべてが相対的判断で下される…ということ。
拠り所を喪っているのだ。
法治国家でありながら、法そのものが相対的であるならば、
人間生活レベルでの基軸も失われ、モノの善悪もケースバイケースに委ねられるということ。
つまり、すべてが市場判断で下される社会に、資本主義のシステムは動いたのである。
「すべての判断が強者論理に取り込まれる」
強者と弱者の線引きがハッキリとしていき、強者の法に従わないものは「反社会的」のレッテルを負わされる。
これは戦前の日本と同じ状態であるが、「反社会的=敵」という概念を生み出すことによって、
その社会における国民は、いつなんどきオノレ自身が「敵」になるかもしれない…という緊張状態をつくる。
それが「全体主義」の温床となる。誰も信じられなくなる…状態とは、絶えず相手を陥れようとする社会であり、
異物を排する状態が常態となれば、その同調圧力はすざまじいものとなる…。それが1937年頃の日本であった。
戦後70年が経とうという日本国家は、またしても同じ轍を進んでいる。これは否めない。
ただ言えるのは、これからの国家の行く末を決めるのは主権在民である、わたしたちだということ。
集団的自衛権の行使をさせるさせないを決めるのは、政府ではなく、わたしたちなのだ。
「法の箍が外れた」ことで、よりシビアに政治と向き合う姿勢が求められている…ということ。
わたしたちが考え、反映させていく国家の成り立ちへと、より政治を引き寄せていく好機と捉えるべきなのだ。
ドイツでは徴兵制度を廃止するに当たって国民からの反対意見があった…という。
「軍隊を政府に委ねてしまうことは、戦争を政府に委ねることになりはしないか」と。
わたしたち日本の民主主義は、まだまだこの域に達してはいない。
絶えず変化する需要と供給の評価と無関係な客観的な価値(ヴァリュー)を持つ者はもはや姿を消し、
すべてのものが別の等価のものと取り替えることができるということである。
(「人間の条件」ハンナアレント著)
そのものが本来持つ真価(ワース)を失うとは、すべてが市場の価格(プライス)で判断される…ということ。…それが資本主義である。
そして、今回の集団的自衛権の閣議決定により、政治もまた真価を持たないものに成り下がったことを示した。
真価(ワース)とは、比類ない価値であり、個がもつ絶対的価値である。
価格(プライス)とは、相対的な価値であり、市場判断で上下する市場価値である。
集団的自衛権を推進する側の売り文句は、PKOであり、日米同盟であり、海外基準である。
日本の対外関係においての立場を主張する「立場主義」に終始する。相対的な判断である。
基軸を持たないから憲法解釈も大きく動く。
ひとつの法が多様に解釈される…ということは、すべてが相対的判断で下される…ということ。
拠り所を喪っているのだ。
法治国家でありながら、法そのものが相対的であるならば、
人間生活レベルでの基軸も失われ、モノの善悪もケースバイケースに委ねられるということ。
つまり、すべてが市場判断で下される社会に、資本主義のシステムは動いたのである。
「すべての判断が強者論理に取り込まれる」
強者と弱者の線引きがハッキリとしていき、強者の法に従わないものは「反社会的」のレッテルを負わされる。
これは戦前の日本と同じ状態であるが、「反社会的=敵」という概念を生み出すことによって、
その社会における国民は、いつなんどきオノレ自身が「敵」になるかもしれない…という緊張状態をつくる。
それが「全体主義」の温床となる。誰も信じられなくなる…状態とは、絶えず相手を陥れようとする社会であり、
異物を排する状態が常態となれば、その同調圧力はすざまじいものとなる…。それが1937年頃の日本であった。
戦後70年が経とうという日本国家は、またしても同じ轍を進んでいる。これは否めない。
ただ言えるのは、これからの国家の行く末を決めるのは主権在民である、わたしたちだということ。
集団的自衛権の行使をさせるさせないを決めるのは、政府ではなく、わたしたちなのだ。
「法の箍が外れた」ことで、よりシビアに政治と向き合う姿勢が求められている…ということ。
わたしたちが考え、反映させていく国家の成り立ちへと、より政治を引き寄せていく好機と捉えるべきなのだ。
ドイツでは徴兵制度を廃止するに当たって国民からの反対意見があった…という。
「軍隊を政府に委ねてしまうことは、戦争を政府に委ねることになりはしないか」と。
わたしたち日本の民主主義は、まだまだこの域に達してはいない。