1969年に生まれた。
70年代、80年代の経済一辺倒の時代に教育を受けて育った。
上の写真はおそらく75年頃の家族写真。
両親は理想的な核家族で
父親は一流企業の終身雇用を受け、
給料の年次昇給は約束されていたし、
母親は専業主婦で、家庭や子供の教育に
まなざしを注ぐことができた。
右肩上がりの約束された未来のために「貯蓄」は美徳とされ、
学歴を刻むことが将来を保証するかの如く、
絶えず上を目指すことが親の望みであり、子供の望みでもあった。
「将来は何になりたい?」
子どもたちの描く将来像は、判で押したように同じだった。
「野球選手」「お嫁さん」が常に上位にはいった。
理想的な家庭とは、目の前にある両親が築いた家庭であり、
社会全体がその輝ける理想に邁進していた時代だった。
バラ色の21世紀は、見事に一元化されていた。
90年代、登り切ったジェットコースターが奈落に落ちるかの如く、
ガラス細工の「理想の未来」は粉砕し、暗黒の世紀末が人々を震え上がらせた。
「地下鉄サリン」や「酒鬼薔薇聖斗」がノストラダムスの終末論をうながし、
デスメタルな除夜の鐘によって、「バラ色」の21世紀が普通にやってきた。
そして、911。テロリズムの跳梁跋扈…。
●
2012年3月11日。
東日本大震災からもうすぐ1年。
戦後から今までの歩みを振り返ってみると、
この現状は来るべくして来たように思われる。
まさか、せっせと貯め込んでいた日本の貯蓄が
アメリカの軍事費にどんどん回されていた…だなんて。
資本主義の基幹がアメリカの軍事産業だと知っていたら、
その「炉」の炎に焼べる薪が、世界一の貯蓄高を誇る日本のカネだと知っていたら。
世界の秩序を守ると息巻いて、
大戦以後もどんどん戦争をしかけ米経済を回し、
ドルの影響力を知らしめ、紙幣を世界中に配って外貨を稼ぎ、
さらにそのカネでもって戦争をオッ始める。
そのアメリカのお膝元で
せっせと薪を焼べていたのが、日本だとは。
●
「将来は何なりたい?」
そんな屈託のない問いに応えるように
年次昇給の大半を貯蓄にまわし、バラ色の未来を思い描いていた
ニッポンの愚直なサラリーマンは、
露程の疑いもなく日常を「やり過ごし」ていたのだ。
…嗚呼、戦後67年。
資本を増やすこと、営利を求めること、
…が「正義」で、ここまで来た。
ああ、…ここまで来てしまった。
もういいだろう。
しっかりともう一度振り返ろう。
「過去を書き換えるように未来を書き込んでいく」のだ。
●
「市民と市民の直接のつながりを考える思考(=Non Government)」
「社会的分配の公正をめざす思考(=Non Profit)」
人間社会には元々、「行政=公益」と「産業=私益」にバランスを取る「市民=共益」が必要なのだ。
なぜ、60年代、70年代の経済一辺倒の教育に、
この目線が含まれていなかったのだろう。
このオルタナティブな思考こそが、
今を切り開く唯一にして最良の道である。
少しずつだが、芽は出始めている。
「市民=共益」の視点。
それを為すためには、どのような思考が必要なのか。
67年の出遅れではあるけど、ひとりひとりが愚直に今を捉えれば、
きっと道は拓ける。
そこには、イノセントな眼差しこそが必須なのだけれど…ね。
70年代、80年代の経済一辺倒の時代に教育を受けて育った。
上の写真はおそらく75年頃の家族写真。
両親は理想的な核家族で
父親は一流企業の終身雇用を受け、
給料の年次昇給は約束されていたし、
母親は専業主婦で、家庭や子供の教育に
まなざしを注ぐことができた。
右肩上がりの約束された未来のために「貯蓄」は美徳とされ、
学歴を刻むことが将来を保証するかの如く、
絶えず上を目指すことが親の望みであり、子供の望みでもあった。
「将来は何になりたい?」
子どもたちの描く将来像は、判で押したように同じだった。
「野球選手」「お嫁さん」が常に上位にはいった。
理想的な家庭とは、目の前にある両親が築いた家庭であり、
社会全体がその輝ける理想に邁進していた時代だった。
バラ色の21世紀は、見事に一元化されていた。
90年代、登り切ったジェットコースターが奈落に落ちるかの如く、
ガラス細工の「理想の未来」は粉砕し、暗黒の世紀末が人々を震え上がらせた。
「地下鉄サリン」や「酒鬼薔薇聖斗」がノストラダムスの終末論をうながし、
デスメタルな除夜の鐘によって、「バラ色」の21世紀が普通にやってきた。
そして、911。テロリズムの跳梁跋扈…。
●
2012年3月11日。
東日本大震災からもうすぐ1年。
戦後から今までの歩みを振り返ってみると、
この現状は来るべくして来たように思われる。
まさか、せっせと貯め込んでいた日本の貯蓄が
アメリカの軍事費にどんどん回されていた…だなんて。
資本主義の基幹がアメリカの軍事産業だと知っていたら、
その「炉」の炎に焼べる薪が、世界一の貯蓄高を誇る日本のカネだと知っていたら。
世界の秩序を守ると息巻いて、
大戦以後もどんどん戦争をしかけ米経済を回し、
ドルの影響力を知らしめ、紙幣を世界中に配って外貨を稼ぎ、
さらにそのカネでもって戦争をオッ始める。
そのアメリカのお膝元で
せっせと薪を焼べていたのが、日本だとは。
●
「将来は何なりたい?」
そんな屈託のない問いに応えるように
年次昇給の大半を貯蓄にまわし、バラ色の未来を思い描いていた
ニッポンの愚直なサラリーマンは、
露程の疑いもなく日常を「やり過ごし」ていたのだ。
…嗚呼、戦後67年。
資本を増やすこと、営利を求めること、
…が「正義」で、ここまで来た。
ああ、…ここまで来てしまった。
もういいだろう。
しっかりともう一度振り返ろう。
「過去を書き換えるように未来を書き込んでいく」のだ。
●
「市民と市民の直接のつながりを考える思考(=Non Government)」
「社会的分配の公正をめざす思考(=Non Profit)」
人間社会には元々、「行政=公益」と「産業=私益」にバランスを取る「市民=共益」が必要なのだ。
なぜ、60年代、70年代の経済一辺倒の教育に、
この目線が含まれていなかったのだろう。
このオルタナティブな思考こそが、
今を切り開く唯一にして最良の道である。
少しずつだが、芽は出始めている。
「市民=共益」の視点。
それを為すためには、どのような思考が必要なのか。
67年の出遅れではあるけど、ひとりひとりが愚直に今を捉えれば、
きっと道は拓ける。
そこには、イノセントな眼差しこそが必須なのだけれど…ね。