Dry & Heavyのキーボーディスト外池満広が
「建築のためのサウンド・トラック」なるものを
リリースしていたのを今知って、とても興味を覚えているが、
ルイス・I・カーンの建築群を巡る
父親探しの映画「MY ARCHITECT」も必見だ。
1974年3月に、身元不明死体として
ペンシルバニアの駅で発見されたルイス・I・カーン。
彼の唯一の息子であるナサニエル・カーンが
自らのルーツを辿るべく、父親像を探す旅に出る。
ナサニエルは、ルイス2人目の愛人パティソンとの間に産まれた子。
だから、父親としてのルイスをあまり深く理解できていなかったのだろう。
まして、20世紀が誇る現代建築の巨匠である。
そんな人物を父親と持ってしまった息子の苦悩は、計り知れない。
ナサニエルは、そんな不遇を好奇心に変換し、
父親が設計したあらゆる建築物を時系列で辿ってみる。
それは息をのむ瞬間の連続だった。
建築物が、こんなにも荘厳で、己の哲学を表出していて、
それでいて、こんなにも懐の深い、慈愛の空間を配している…だなんて…。
映像だけでも、その空間の張り詰めた空気が伝わってくる。
ナサニエルの鼓動が、ビシビシと画面からこぼれてくる。
クリエイティブの最たるものとして
父親がつくった三次元の構造物を体感する…というのは、
畏れ多いことだと、想像できる。
建築のスゴイところは、その振幅の大きさだ。
タテヨコの大きな構造と、ドアノブの小さなディテールまで
余すことなく建築家の目が行き届いている…それが建築なのだ。
クリエイティビティが遺憾なく発揮された
それらの建築物は、もはや父親そのものである。
父親の精神<スピリット>が充溢しているのだ。
その空間に入ることはすなわち、父に抱かれているに等しい。
「キンベル美術館」(1972)の間接的に天井を照らすやわらかい光に、父親の慈悲を感じる。
「バングラデシュ国会議事堂」(1974)の壮大な宇宙に、父親の精神力の強さを知る。
しかし、この映画を見て知ったのだが、
ルイス・I・カーンは、かなりの大器晩成型だということだ。
ルイスを世に知らしめることとなった「イエール大学アート・ギャラリー」(1951)は、50歳の時の作品。
ルイス真骨頂と言われる「ソーク生物学研究所」(1965)は、64歳の時の作品。
74年まで残り10年。
歴史背景とユダヤ人であったことが、
50歳までの不毛の時間を、ルイスに与えてしまった…とのことだったが、
それにしても、74歳にして絶好調のクリエイティビティだと感心してしまう。
デザインに興味がある人、アーチストとして生きる人は見るべきだ。
建築家がかくも切なく、人間的で理想主義者でいられることを
ルイス・カーンの中に見て励まされかつ自信を持つだろう。
素材との会話の下りはこの建築家の中に神様を感じる。
黒崎 輝男(流石創造集団株式会社 C.E.O.)
Revueの一節。
しかし、創造者(アーティスト)として、
これほどまで人を圧倒させてくれる人物は、そういない。
MY ARCHITECT
「建築のためのサウンド・トラック」なるものを
リリースしていたのを今知って、とても興味を覚えているが、
ルイス・I・カーンの建築群を巡る
父親探しの映画「MY ARCHITECT」も必見だ。
1974年3月に、身元不明死体として
ペンシルバニアの駅で発見されたルイス・I・カーン。
彼の唯一の息子であるナサニエル・カーンが
自らのルーツを辿るべく、父親像を探す旅に出る。
ナサニエルは、ルイス2人目の愛人パティソンとの間に産まれた子。
だから、父親としてのルイスをあまり深く理解できていなかったのだろう。
まして、20世紀が誇る現代建築の巨匠である。
そんな人物を父親と持ってしまった息子の苦悩は、計り知れない。
ナサニエルは、そんな不遇を好奇心に変換し、
父親が設計したあらゆる建築物を時系列で辿ってみる。
それは息をのむ瞬間の連続だった。
建築物が、こんなにも荘厳で、己の哲学を表出していて、
それでいて、こんなにも懐の深い、慈愛の空間を配している…だなんて…。
映像だけでも、その空間の張り詰めた空気が伝わってくる。
ナサニエルの鼓動が、ビシビシと画面からこぼれてくる。
クリエイティブの最たるものとして
父親がつくった三次元の構造物を体感する…というのは、
畏れ多いことだと、想像できる。
建築のスゴイところは、その振幅の大きさだ。
タテヨコの大きな構造と、ドアノブの小さなディテールまで
余すことなく建築家の目が行き届いている…それが建築なのだ。
クリエイティビティが遺憾なく発揮された
それらの建築物は、もはや父親そのものである。
父親の精神<スピリット>が充溢しているのだ。
その空間に入ることはすなわち、父に抱かれているに等しい。
「キンベル美術館」(1972)の間接的に天井を照らすやわらかい光に、父親の慈悲を感じる。
「バングラデシュ国会議事堂」(1974)の壮大な宇宙に、父親の精神力の強さを知る。
しかし、この映画を見て知ったのだが、
ルイス・I・カーンは、かなりの大器晩成型だということだ。
ルイスを世に知らしめることとなった「イエール大学アート・ギャラリー」(1951)は、50歳の時の作品。
ルイス真骨頂と言われる「ソーク生物学研究所」(1965)は、64歳の時の作品。
74年まで残り10年。
歴史背景とユダヤ人であったことが、
50歳までの不毛の時間を、ルイスに与えてしまった…とのことだったが、
それにしても、74歳にして絶好調のクリエイティビティだと感心してしまう。
デザインに興味がある人、アーチストとして生きる人は見るべきだ。
建築家がかくも切なく、人間的で理想主義者でいられることを
ルイス・カーンの中に見て励まされかつ自信を持つだろう。
素材との会話の下りはこの建築家の中に神様を感じる。
黒崎 輝男(流石創造集団株式会社 C.E.O.)
Revueの一節。
しかし、創造者(アーティスト)として、
これほどまで人を圧倒させてくれる人物は、そういない。
MY ARCHITECT