#photobybozzo

沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

MY ARCHITECT ~ルイス・I・カーンを探して~

2006-09-22 | BOOKS&MOVIES
Dry & Heavyのキーボーディスト外池満広が
「建築のためのサウンド・トラック」なるものを
リリースしていたのを今知って、とても興味を覚えているが、

ルイス・I・カーンの建築群を巡る
父親探しの映画「MY ARCHITECT」も必見だ。

1974年3月に、身元不明死体として
ペンシルバニアの駅で発見されたルイス・I・カーン。
彼の唯一の息子であるナサニエル・カーンが
自らのルーツを辿るべく、父親像を探す旅に出る。

ナサニエルは、ルイス2人目の愛人パティソンとの間に産まれた子。
だから、父親としてのルイスをあまり深く理解できていなかったのだろう。
まして、20世紀が誇る現代建築の巨匠である。
そんな人物を父親と持ってしまった息子の苦悩は、計り知れない。

ナサニエルは、そんな不遇を好奇心に変換し、
父親が設計したあらゆる建築物を時系列で辿ってみる。



     それは息をのむ瞬間の連続だった。



建築物が、こんなにも荘厳で、己の哲学を表出していて、
それでいて、こんなにも懐の深い、慈愛の空間を配している…だなんて…。

映像だけでも、その空間の張り詰めた空気が伝わってくる。
ナサニエルの鼓動が、ビシビシと画面からこぼれてくる。

クリエイティブの最たるものとして
父親がつくった三次元の構造物を体感する…というのは、
畏れ多いことだと、想像できる。

建築のスゴイところは、その振幅の大きさだ。
タテヨコの大きな構造と、ドアノブの小さなディテールまで
余すことなく建築家の目が行き届いている…それが建築なのだ。

クリエイティビティが遺憾なく発揮された
それらの建築物は、もはや父親そのものである。
父親の精神<スピリット>が充溢しているのだ。

その空間に入ることはすなわち、父に抱かれているに等しい。

「キンベル美術館」(1972)の間接的に天井を照らすやわらかい光に、父親の慈悲を感じる。

「バングラデシュ国会議事堂」(1974)の壮大な宇宙に、父親の精神力の強さを知る。

しかし、この映画を見て知ったのだが、
ルイス・I・カーンは、かなりの大器晩成型だということだ。
ルイスを世に知らしめることとなった「イエール大学アート・ギャラリー」(1951)は、50歳の時の作品。
ルイス真骨頂と言われる「ソーク生物学研究所」(1965)は、64歳の時の作品。
74年まで残り10年。

歴史背景とユダヤ人であったことが、
50歳までの不毛の時間を、ルイスに与えてしまった…とのことだったが、
それにしても、74歳にして絶好調のクリエイティビティだと感心してしまう。

    デザインに興味がある人、アーチストとして生きる人は見るべきだ。
    建築家がかくも切なく、人間的で理想主義者でいられることを
    ルイス・カーンの中に見て励まされかつ自信を持つだろう。
    素材との会話の下りはこの建築家の中に神様を感じる。
              黒崎 輝男(流石創造集団株式会社 C.E.O.)


Revueの一節。
しかし、創造者(アーティスト)として、
これほどまで人を圧倒させてくれる人物は、そういない。



MY ARCHITECT
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Donのポートレイト

2006-09-22 | Photo-diary
Donである。
Bassistである。
イイ写真だと、思う。

本人も意外に気に入るかもしれない。
承諾なしでの掲出も、快く許してくれるだろう。

こんな笑顔で
実はとんでもない感覚を備えている。

彼の音楽知識は、無尽蔵だ。

また、言葉が巧みなので、
音に対する分析能力がずば抜けている。
もはや、ひれ伏すしかない。

今度の10月1日に行われるオクマフェスト2006には、
Dry&HeavyでAudio Activeの七尾茂大さんと
ステキなDrum'n'Bassを聴かせてくれるらしい。

とても濃厚なDUBだということだ。
日曜日の夜に、オクマの軍用ビーチで、スーパーDUB。
これだから、沖縄の音楽シーンは、わからない。

Dry & Heavy

AUDIO ACTIVE
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EPSONカラーイメージングコンテスト

2006-09-22 | PHOTO
今月20日が応募締切だった
EPSONカラーイメージングコンテスト。

まずは有言実行。

なんとか32枚の写真をセレクトし、
連休の2日をまるまる使って、
自分なりの写真集を制作、製本し、応募することができた。

セレクトから出力、製本までの
紆余曲折が、かなりの無理がかかった作業だったが、
撮りっぱなしでは、成長しないとの信念で、
なんとか再構築することに成功した…と思う。

お題は【予兆】だ。

以下、制作意図をそのまま引用する。

     ●

写真行為は、撮影された時点で、その時間を封じ込める。
被写体は、一点の時間に凝縮され、平面に固定される。
封じ込められた時間の、その先の未来は、
「予兆」としてわずかに、刻まれるのみである。

つまり、写真は過去の集積だ。
連綿と続く過去の集合体だ。

しかし、裏を返せば、
過去の「予兆」の断片群とも言えるのである。

写真を過去と見るか、未来への符牒と見るか。

私はこの写真群に通奏される「予兆」を引き出し、
すぐ先に続く未来へ、メッセージを送りたかった。

舞台がなぜ沖縄なのか…。
それは、日本の辺境だからである。

辺境から発せられる普遍的な「予兆」を感じて欲しい。

     ●

自己完結な制作意図だが、
編纂された写真群から
何かしらの「違和感」を感じてもらえれば「マル」だろう。

結果発表は12月中旬。

次回はCanon写真新世紀も挑戦したい。




EPSONカラーイメージングコンテスト
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もはや八方塞がり…なのか

2006-09-22 | Photo-diary

引っ越し先のネット回線問題で、途方に暮れている。

もはや壊滅的な状況である。

言葉にして説明するのも
呆れるぐらいの危機的状況なのだ。

     ●

まず7月15日に転居を済ました。
その際、KDDIとのやりとりで
先方の移転工事請負会社が連絡を怠ったため、
回線移転まであと1ヶ月かかることを知らされる。

     ●

その後、書類の手続きが滞った…などの理由で
さらに、1ヶ月の遅延を宣告され、完全にキレる。
お客様満足度No.1!…などよく言えたものだと、呆れてしまう。

     ●

そして、昨日。
KDDIから一通の圧着ハガキが…。
なにやら不吉な予感。

書面にはこう記してあった。
⇒お客様がお住まいの地域は、残念ながらADSLを引くことができません。
 なので、取引を中止させていただきました。ご了承ください。

…なぜ?意味がわからない。

この2ヶ月間、KDDIは何をしていたのだ?
なぜ、今頃になって回線の不具合が露呈するのだろう?

…電話で確認することに。

オペレーターが言うには、
基本的にKDDIはNTTの回線を借りて商売をしているので、
お客様からの書類が完全に揃った段階から、はじめてNTTとの
回線交渉に入る…という。
それまでは、KDDIでは回線状況の把握は行っておらず、
結果的に2ヶ月後の取引中止申請となってしまった…とのこと。

あまりにもお粗末で、開いた口が塞がらない。

完全な代理業務ということか。

     ●

とにかく、KDDIでは回線が引けないことが明らかとなり、
なんのために仁義を通してあげていたのか…と
はらわたが煮えくり返ったが(仕事の恩義をauに感じていたからなのだが)
インターネットが通らないまま…というのは、
あまりにも問題だから、
早速、地元通信会社で沖縄電力グループのOTNetへ。

     ●

ここでもまた、問題発生。

なんだか、呪われているようだ。

聞くところによると、
今の住居は5階建ての5階なため、
カテゴリー的には
マンション共有の光回線となってしまうらしい。

そうすると、マンション内の8世帯が
光回線導入にOKでなければ、
回線を引くことはできない…ということらしい。

補足⇒KDDIがADSLを断念した理由は
   自宅周辺地域の電話線が一部銅線ではないため、
   ADSLを引くことができない…ということだった。
   つまり、一部光回線のみの地域があるということ。
   であるから、光回線を引くしか選択肢はない。

     ●

こうなったら、素直にNTTと掛け合うしかなさそうだ。
あまりのお粗末さに、呆れてしまう。

新都心と言われる地域に住みながら、
回線問題でこんなに振り回されるとは、思わなかった。



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