フグさんの雑記帳

さいたま市の荒川河川敷を主なフィールドとして四季を綴っていきます。

思わぬところでチョウゲンボウと出会いました

2019年12月26日 22時38分15秒 | 荒川河川敷

12月27日は予定があるので一日早くさいたま市の荒川左岸を走り、青葉園に行って来た。予報では終日曇天で夜遅く雨になるとの事だったので9時30分過ぎに家を出た。
羽根倉橋から先の自転車道迂回路は相変わらず通行止めの看板が出ていて途中のゴルフ場との間のフェンスは倒れたまま、流れ着いた漂着物は絡まったままだ。昭和田んぼの横堤下の泥は本当にしつこい。真ん中辺りから周囲堤にかけては厚く積もったままで、水溜りにもなっている。いつもはスピードで走り抜けていくツーリングの面々もこの泥の堆積で敬遠しているようで出会いが無かった。

錦乃原桜草園は刈り取りが終わってきれいに整備され気持ちがよかった。でも入口付近の両側の立木は倒れたままだった。

すぐ横の横堤は桜草園の途中まででこの辺りはかなり複雑な濁流が支配したらしい。

端の方がえぐれている横堤。すぐ隣が錦乃原桜草園だ。

治水橋の近くの警察の訓練所の辺りは多くの漂着物が流れ着き今日は訓練所と横堤の間の漂着物の後片づけをしていた。重機が動くと色々餌も出てくるのかチョウゲンボウがが飛んで来て杭に止まってジーット見つめていた。

 


2週間ぶりのスポーツクラブは筋力が落ちていました

2019年12月20日 22時59分39秒 | 身辺雑記

手術後一週間になる。今日は2回目の入浴、首から下の入浴だ。最初に聞いた時にはなんと不細工なと思った。風呂に入って顔も洗えないのでは意味がないと思った。でもこれが以外に問題なかった。首から下の入浴でも気持ちよかった。今の季節からだろうか、汗はかかないし全然不自由なかった。

手術後はカッペをつけるようにとの事で、売店で購入したが名前が面白い。田舎っぺのカッペではなさそうだが、ドイツ語が元になっていた。


カッペはドイツ語のKappa=帽子、ふた、覆いに由来すると言う。

床屋での上向き洗髪も何の抵抗もなく終わった。色々先入観ばかり強かったようだ。白内障の手術を受けた話をすると先方から顔剃りは止めておきましょうかとの提案がされた。商売柄色々な客がいるのだろう。非常に快適に散髪が終わった。
退院後初めての診察は洗顔禁止などの手術後の制約が無くなると思うがまだ診察前の色々な検査の最中だ。眼科はこれがあるから非常に時間がかかるが今日の様に検査は検査で時間を指定してくれると分かりやすい。果して時間短縮になるかは結果を五郎二郎だ。
マアマアの時間で終わった。取り敢えずは風呂、洗顔は解禁だ。スポーツジムは年内は避けた方がというがほどほどだろう。

怒りっぽい自分をチョッピリ振り返れました

2019年12月13日 11時32分36秒 | 身辺雑記

無事5日間の入院終了。何しろこの年で入院は初めてと言っても過言ではない。さぞ不自由だろう。相部屋では気も使わねばならず、酒も飲めない。色々考え気が重くなるばかりだった。でも予想とはダンチで快適な5日間だった。食事は量が半分位だったが良く噛んで食べれば十分だったし、何よりアルコールが欲しくならないのが不思議だった。

前のベッドの住人は夜中にしょっちゅうナースコールをしたり喚いたりで迷惑だったが、とぼけて「夜中にあれだけ大きな声を出したんだからよっぽどどこかが痛かったんだろう。治ったかい」と問いかけたら、分かったのだろう険しい表情が変わった。手続きも終わって退院するときに「お大事に」と声をかけたらコロッと嬉しそうに微笑んでいたのが嬉しかった。
 
近くを流れる芝川の土手から

大きく青空が広がった4日目は浦和は12日町で賑わった事と思う

2019年12月12日 15時59分27秒 | 身辺雑記

4日目の今日は朝8時30分から教授の診察。手術の検証も兼ねているようだ。取り敢えずは順調ですとの言葉だった。担当医が眼圧などの検診をして終了。後は4時間毎の点眼だけで夕方の外来病棟での診察だけだ。

朝から青空が広がり12月とは思えない好天。今日はもう少し周りの様子を見るつもりで出かけた。駐車場の紅葉は今が最高かもしれなかった。

病院の窓から小学生たちが運動しているのも見えた近くの小学校は芝川小学校だった。学校に沿って曲がっていくと自治医大病院の裏口もあった。前方の木は夏みかんだろうか大きな黄色い実がなっていた。

表の道路に出ると病院の生垣にサザンカの赤い花白い花が見られた。漢字表記の山茶花は中国語でツバキ類一般をさす山茶に由来するという。そしてサザンカの名は山茶花の本来の日本語読みのサンサカが音位転換したものという(ウィキペディア)。

午後ももう少し範囲を広げて歩いてみようと思ったが外来病棟での診察が何時になるかが分からない。結局は3時頃が終わったのが4時半近くなってしまい探訪はオシャカだった。


1番の9時30分に手術は終りました

2019年12月11日 14時52分42秒 | 身辺雑記

今日は1番の9時に手術。朝は忙しかったが早く終われば楽だ。9時40分には部屋にもどっていた。血圧が上がる事もなく全て順調に終わった。

11時頃に女房と長女その息子の4歳の孫が来てくれた。感染症等の関係で子どもは病室に入れないので孫は待合室までだ。5歳になったばかりの孫はいつもと勝手が違っておとなしかった。
食事も普通だし日帰りで手術する人も多いだけに手術後は痛くも痒くもない。もちろん部分麻酔が効いていたのだろうがしばらくたっても痛みは全く無かった。
奇しくもこの日は学生時代の親友の佐藤晃勇の命日だった。最初の内は仲間とこの日を中心に墓参りをしていたが最近は本当に去る者日々に疎しで何時亡くなったかも忘れていた。見てみると2003年とあるからもう16年も前になってしまった。
一度だけ朝食はパンだった。今の自分にはこれで十分だったが、もう少し若ければ・・・・・
 
最後は糖尿病でかなり食事制限もされていたらしい。見舞いに行くとそそくさと車いすに移動し売店に行こうという。いかにも何か買わねばならないものが有るような感じだった。売店まで行くと一人でアチコチ動き回っていた。結局買ったのは甘いものを中心に食べ物だった。でもそれがいかにも自然でがつがつしている様子はみじんもなかった。人懐こい人柄のなせる業なのだろう。帰り道一緒に見舞いに行った仲間としみじみ彼の人柄の良さ育ちの良さを笑い話ししながら帰った記憶がある。