My violin & My life/ Life is a Bumpy road

スタートラインはいつもそこにある!
Life is Impermanent.

知るべきこと。考え続けるべきこと。

2011年09月06日 | 読む☆考える(^O^)/
原発に関する危機意識から、その件について勉強された方が既にたくさんおられると思います。
(私は遅いね。)
自分が無知である(あった、)ことを書いてなんになるのかと、
お読みななった方々にはそう思われたことかと。。
(それほど読まれてはいないので杞憂ですケド^^;)

そういう私でさえも先月には関連の書籍を買っていました。
原発のウソ (扶桑社新書) [新書]
小出 裕章 (著)
まだ読んではいませんでしたが。

でも、読む前の認識で、書いておきました。。
断片的な情報の中で考えることは直観的ですが、無視できないその時の感覚もあると思って。
(最近よく脊髄反射という言葉が用いられていますが、、、そういう意味あいの感覚、ではなく。)
読もうと思いきや偶然、その著者の講演をwebで見つけました。

小出裕章氏講演 1時間57分 8/27 核・原子力のない未来をめざす市民集会@台東http://vimeo.com/28354066
1時間半という結構長い時間ですが、勉強になりました。

この小出さんという方はいまとても有名な方のようで、名前だけは知っていましたので
なんとなく、ちょっと読んでみようかなと、本は購入してありました。
そのあと著書を読みましたが、8月の講演はこの本が土台になっているかもしれません。
なので、聞いたことを復習する形になって助かりました。

小出氏著書「原発のウソ」では(昨日読み終えましたが)
今迄の私達の原発に対する認識がいかに間違いだらけであったかを、
大変誠実におしえてくれました。
その間違った認識は、
「未来のエネルギー」「クリーンなエネルギー」いう
PRによるものでした。
小出氏自身、かつて原子力に夢を持ち、研究に足を踏み入れたけれど、
学ぶうちにその危険性を知り、自身の考え方を180度変えたと書いています。
その危険を知った当時日本には原子力発電所は3基。そして今は54基。(その数最近まで知りませんでした。)
なんとかやめるべく努力されたそうですが、それを止めることができなかった責任を感じているそうです。
そして、危険を知らされなかった私にも未来への責任は問われている。
もう、知らなかったんだもん、では済まされないです。
著書の内容についてはもう私が紹介するまでもないと思いますが・・・・。

原子力発電はco2を出さないエネルギーだと思っていたら、違うのですね。
発電ができるようになる準備段階で既に、大量の化石燃料を使っている。
なので、「発電時には」の限定でco2を排出しない、だけのことらしい。


私がぼんやりと使用済み核燃料はどうなるの?埋めても安全なのかな?
と思っていたことも、その危険について説明されていましたので、
納得できました。

原子力の研究者の方々はたくさんいらっしゃる。
けれど、これから先、いかに専門的に安全性を強調して説得されても、
この本を読んでだあとには、私にはそれは詭弁にしか見えないでしょう。。

    *******

実は、8月末に本を購入する前に、7月1日付ダイヤモンド書籍オンラインで香山リカさんの記事
「小出裕章氏が反原発のヒーローとなったもう一つの理由 」を読んで、
いささか複雑な思いになっていました。
それに対して抗議の反響が殺到した模様で、後にお詫びの記事が掲載されました。
これまで香山さん自身には好感を持っていましたが、
今回はいささか筆が足りなかったようです。地道に活動している方々への配慮も。
香山さんがヒーローだとか、のめりこむ、だという言葉を使うのは、軽すぎたかと思います。
これであの人はもうダメとおもったわけではないので、感想にとどめますが。

    ******

いまの私には、訴えている人の言うことがが本当か否かの判断の基準は
まず、誠実であるかどうかから始まっています。猜疑心が強いかな。
その次には、そのうえで、すべてをその本人にゆだねることは無理と思わなければならない、と。
小出さんにしても河合さんにしても、その持ち場で必死にやっておられるのであり、
原発に関するこれからかかえる”全部”の問題はゆだねられないのだということを考えたら、
ヒーローなどという言葉はもうしわけなくて使えない。それは押しつけ。
私自身が何をどれだけ引き受けられるか、どちらに転んでも一般人としてこれは重い責任です。

最後に、まだあまり学習してない時に見つけた言葉を。


”ノーベル賞受賞者の野依良治氏が人類に警告しています。
『原子力の火は、付けたいときには付けられるようにはなったけれども、消したいときには消せるという点ではまったくこれ零です。出来ない。そうである以上、これは完成された技術でもないし、人間の頼るべき技術でもない。』 ”

ソースはどこか忘れてしまいました。でもこれが心に残っていましたので。

            ************

9月9日
上記の自分の書いたものを読み返すと、残念ながら、無防備に書いているなと思った。
情緒的にならないように気をつけていても、難しい。だから、
あなたの思いこみでしょう、と、かりに言われたとしたら、
そうではない、と説得する材料と言葉は少ない。
感覚的に同じ方向の人にしか私は話せないことになるなと思う。
それはどうなんだろう、、、
と、考えてみたが、これは啓蒙のための日記ではないし、
またひとたび誰かに読まれたからには、その時点での文章の不備に、
私の言い訳も補足もセットにしてもらうことはできないだろうし、
いいや、もうそんなことは気にしないでおこうと思う。

最後にあげた野依さんの言葉は、「人類に向けて」と紹介されていたものだが、
こうして掲載してみたら、これは直接科学者に向けて発言していると思えてくる。
私のような一般の人間は、この言葉をごく抽象的哲学的にとらえてしまう。
はじめ私ははダイレクトに、生き方の問題にまでつなげてしまった。
けれども、これは頗る具体的な言葉であり、それを一番感じ取れるのは
科学者(各分野は細分化されようと、少なくとも研究をする立場の)
でなくてはならないのだと思う。
感銘を呼ぶ言葉は、限定された対象にあててはいても普遍的な広がりを持つ。
懐が広くなっている。だから、心に残ったのだと思う。
またこれが本人の言葉であるかどうかの詳しい確認をしたかと言えば、ノーだ。
どちらにせよ、ノーベル賞受賞者、という冠を外したとしても、良い言葉だと思った。

あと、「誠実かどうかで」本当か否かを判断すると、いうことを書いたけれど、
誠実であれば間違いを言わないのか、という反論を考えてみた。(自分でツッコンダ。)
部分の間違いは確かに存在するだろうし、いや方向が間違っている場合だってありうる。
私の場合は、少なくとも発言の責任を引き受ける可能性をキャッチできれば「誠実」と個人認定するんだと思う。
と、ツッコンダ自分に答えた。(^^)




追記2 9月12日

国家公務員と電力会社と政府と他企業
その関係の現実は、、、、?

弁護士、科学者(原子力研究)、の方々の立場からの考え方を見たので、次には
行政の側面からの興味ある動画を。

古賀茂明氏記者会見 ~自由報道協会~ 2011/08/11
http://www.ustream.tv/recorded/16571712/highlight/193817
(追記がどこまでも長くなっていく…)
古賀さんの最後のほうのお話では、
発送電分離の実現が難しそうなのが悲しい。

そうよ、分離「する」っていう方針をまず先に決めて出してほしいのですよ。
これだけは、自分が原発の根本的危険に関する基礎的知識を得る(得たのか?ハイ。ある程度は、、、)
前から良案だと思っていたのだ。
でもこれは「バ菅の単なる思い付き」として消えてしまったみたいです。(悲)

官僚の側面からの古賀さんの解説が、わかりやすい。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする