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地方の三文小説家「東義久」の独白

東義久のブログです。

免許証の切り替えに行ってきた。

2015-06-11 01:31:51 | ひとりごとの部屋
平成27年6月10日、免許証の切り替えに京都市伏見区の羽束師まで行ってきた。
目の検査を受け、講習を受けて、新しい免許証をもらった。
ゴールド免許らしい。
視力も大分落ちているみたいだ。あと何回更新をするのだろうか。

89番、講習受けました。


「百日紅」を観てきました。

2015-06-03 22:06:04 | ひとりごとの部屋
6月7日、京都二条のTOHO ⅭINEⅯASで、「百日紅」を観てきた。
この作品は杉浦日向子の漫画が原作で、葛飾北斎の娘のお栄、画号応為をとおしての江戸時代の死と生とが隣り合わせの1814年ごろの江戸の人間を描いている。
主人公は23歳で、北斎の陰ともなって画をかいているが画に色気がないと酷評されており、自分でも自覚している。それでも画をやめずかき続けている。そんなミス北斎と呼ばれた画人の物語である。
アニメであるが結構リアルに楽しめた。



『龍三と七人の子分たち』を観てきた。

2015-04-29 21:34:35 | ひとりごとの部屋
4月28日夜、『龍三と七人の子分たち』を観てきた。 元ヤクザと詐欺集団との戦いをコミカルに描く、北野武監督による人間 ドラマ。オレオレ詐欺にひっかかったヤクザの元組長と仲間たちが詐欺で人々をだまそう とする ...それが70歳以上の老人ばかり。 彼らが7人の侍のごとく若いチンピラ どもに立ち向かっていく。 藤竜也や近藤正臣らが老いの悲しみをまともに相手にして闘って行くのを見ていると、おかしさの後に、哀しみが見え隠れする。 老いとの勝ち目のない闘いはおかしくて笑えるのだが、気が付けばそれは自分の悲しみでもあった。 主演の藤竜也、近藤正臣、中尾彬など。

「風に立つライオン」を観て来た。

2015-03-19 05:45:44 | ひとりごとの部屋
この作品はさだまさしの同名の曲の映画化である。
小説にもなっているということは知らなかった。
主演の大沢たかおが曲に感銘して映画化を懇願したということである。
ぼくも曲を聴いたとき感動したのを覚えている。
最初からきっと泣ける、と期待を持って観られる映画もつらいだろうが、それなりの出来だと思った。
最初、東北大震災の画面から始まるのは曲と違うが、全編を観れば命の伝達というのがわかるようになっている。小説のほうはどうなっているのだろうか。
とりあえず期待通りウルウルしながら観られた。
大沢の映画を創りたいという情熱は伝わって来た。
ケニアの少年が内戦で9人を殺したことを告白すると、医者になって10人の命を救えと主人公の台詞に考えさせられた。
ただ惜しむらくは、アフリカのロケをやっているのだから、もっと自然の荘厳さや美しさを、自然の畏怖というものをカメラが見せてほしかった。それが残念である。
涙を流したいひとにはいい映画である。

京都のIVYの元祖といってもよい店

2015-02-21 00:20:42 | ひとりごとの部屋
2月19日、MOVIX京都で映画を観たが、帰りに「イノハナ」に寄ろうと思っていた。
イノハナは京都新京極の三条下がるにある紳士服の店である。
が、あいにく店のシャッターは下りていた。
たまたま着て行ったKEÑTのダッフルコートは今から47年ほど前にイノハナで買った
ものである。
休みなら仕方がないと思い、フッ、と見ると、閉まったシャッターに入居者募集の意味合いの込められた張り紙が・・・。気になって向かいの店のおばさんに店は止められたのか、と訊いてみた。去年の12月ごろから閉まっているということで、新聞にも出ていたということだった。
ぼくらはVANやJUNといった服を追い求めた。それは一種の社会現象にもなっていた。特にVANはアメリカのアイビーリーグの大学生が着ていた服をモデルにし、石津謙介が操業した。そのVANの製品を京都で最初に扱ったのがイノハナであった。
創業1888年の看板が今も残っていた。丁度、服飾を題材にした「繕い裁つ人」を観てきたところだったので感傷的な気分になった。
京都のトラッド、IVYのメッカ、イノハナがなくなる。寂しいことである。

シャッターの閉められたイノハナの店。


創業1888と書かれた看板。


イノハナで今から45年以上前に買ったKENNTのダッフルコート。

「繕い裁つ人」を観てきた。

2015-02-19 22:51:56 | ひとりごとの部屋
2月19日、京都市内のⅯoVIx京都で観てきた。
そんなに期待してはいなかったが、全体に静かな流れで、観たあと、心が癒された気になった。
主演は中谷美紀、頑固さがいい感じでオーバーでもなくよかった。舞台が神戸ということで、坂道が象徴的に使われる。三島有紀監督の腕だろうか。

組母が始めた仕立て屋『南洋裁店』を継いだ市江(中谷美紀)は、古びたミシンをカタカタ言わせて一生ものとなるような服を一着一着丁寧に作っている。昔ながらの職人スタイルを取っているため量産はできず、百貨店の営業・藤井(三浦貴大)からの再三にわたるブランド化の提案も断り続けている。祖母が作った服の仕立て直しやサイズ直しをし、祖母のデザインを流用した新作を作る日々に、市江は十分満足していた。しかし、自分がデザインしたドレスを作りたいはずという藤井の言葉が、市江の心を動かす……。と、いうストーリーである。
「とっておきの服は誰かひとりのために」「おしゃれは自分のために」「いい服は体にそってくる」すてきな言葉が語られる。
ただ、少し不思議に感じたのは、主人公が紳士服を直すシーンだ。婦人服のデザイナーが紳士服を直すのかと、少々違和感を覚えた。
藤井の演者は百恵ちゃんの子息だそうである。


映画「深夜食堂」を観て来た。

2015-02-02 05:29:05 | ひとりごとの部屋
2月1日、京都イオンで映画「深夜食堂」を観て来た。公私とも慌ただしくて映画を観る時間が取れなかったが、行くことにした。が、日曜日とも重なり、満員で次の上映まで待たされた。「深夜食堂」のフアンの多さに驚かされた。
漫画「深夜食堂」が原作とされるこの作品、テレビで観てからのフアンである。あがた森魚の「バターライス」を偶然に深夜のテレビで観てはまってしまった。松重豊のヤクザのりゅうちゃんとおかまのすずさんの「たこウインナー」など秀作は幾つもあるが、映画では余貴美子がマスター小林薫の訳アリ恋人のような出演の仕方をしているのが、今後テレビでも観られるのか気になる。
好きなテーマソングはテレビと同様、鈴木常吉の「思ひで」。
テレビではオダギリジョーが人生に迷い、熊野詣でに出る設定であったが、新宿に戻り交番の巡査になっていたり、最後に田中裕子が貫禄で出演、さすがジュリーの奥さん(これは関係ないか?けど、我が青春のジュリーやからお許しを!)。
映画は映画でそれなりに拡がりを見せていて楽しめた。

お馴染み小林薫のマスター。

いらっしゃい。

りゅうちゃん、すずさん。お馴染みのメンバー。

貫禄の田中裕子。

昨日、大阪の阿倍野へ行って来た。

2014-12-14 07:05:54 | ひとりごとの部屋
12月13日、大阪の阿倍野へ行って来た。観たいものがあったからで、アベノハルカスへ行きたかったからではない。
ひとつは、「第6回高円殿下祈念根付けコンペティション」。これは、ぼくの思っていた骨董的な根付けではなくて、大阪芸大の学生が作った新しい者が多く並べられており、また観客も少なくゆっくり観られた。
昼食をハルカスの近くの串かつ屋ですまし、次は阿倍野の近鉄百貨店で開催されている「トーベ・ヤンソン生誕100年記念ムーミン展」に行った。これは根付け展とは違い、入場するのに30分待ちで中に入っても順にならんで観るという人気ぶりだった。トーベの原画150点以上が並び思っていた以上に小さな、そして近くで観る挿絵作品に驚かされた。
「崇拝するものを持たないほうが自由でいられる」と、いうトーベの言葉に心ひかれた。
ミーやスナフキンに会えたのはよかったのですが、強行軍に家に着いたころにはヘロヘロ。齢ですなぁ!


昼は串カツ。
ムーミン展は満員。

父の満中陰が終わる。

2014-11-30 02:44:37 | ひとりごとの部屋
父が10月10日に亡くなり、昨日、満中陰法要を済ませた。うちの家は浄土宗である。母は10年ほど前に亡くなったので、経験済みのはずが判らないことばかり。初七日からはじまり御詠歌を詠むのだが、これが覚えていない。幸い区長さんが唱えにきてくれたのだが、御詠歌は難しい。
満中陰の日、父は浄土に旅だったのだという。その日、笠餅といって、これも母のときのことを覚えてないのだが、お餅を人形に切って並べ体に悪い部分がある人に持って帰ってもらう儀式である。
父は母より3歳下であったが、死ぬ前にそのことを訊くと年上の女房はしっかりしてなんでもしてくれたからよかった、と嬉しそうにいっていたのが印象に残っている。
親父は大人しい静かな人であったが、最後、死んだ日は台風19号の日、なんだか親父にやられたような気がしてしょうがない。
忌明けも終わり、父は母と再会しているのだろうか。
久しぶりに息子たちも東京、滋賀から戻って爺ちゃんの満中陰法要に参列し、想い出を語っていた。


法要が始まる。


傘餅。





「柘榴坂の仇討」を観て来ました。

2014-09-24 23:26:32 | ひとりごとの部屋
浅田次郎の原作の映画化である。
監督は若松節朗。
桜田門外の変で主君を守り切れなかった男と、身を隠して孤独に生きる男が13年の後、やがて出会うこと
になる。江戸から明治へと時は激しく動いて行くなかでの人間ドラマ。
桜田門外で井伊直弼が自分を狙って行列に立ちはだかる侍に、命がけでやっているのだから丁重に扱え、というのであるが、その言葉が布石になり、最後、主人公も敬愛した主人のその言葉を守るかのように・・・。、
武士の矜持、人間の矜持とは、と考えさせられた。
ただひたむきに生きろ。決して死ぬな。
時代は変わっても、決して人は変わらぬ。
魅力ある言葉が出てくる。
映画が終わってから、白黒映画を観たような、どこか懐かしくて気持ちが穏やかになる作品だと思えた。

中井貴一と阿部寛。

13年の後の邂逅。


 

うちのお地蔵さんのお盆。

2014-08-24 07:29:23 | ひとりごとの部屋
 8月23日、地蔵盆。うちのお地蔵さんの守りをして来た。1年に一回、感謝の意味もこめてこの日にお祀りをする。
 地蔵盆というのは、毎年、8八月23日か24日に京都を中心に関西で行われるものである。その起源は、「難波鑑」と、いう上方随筆なるものに、江戸時代の初期には地蔵盆が行われていたと記されている。随分と昔から行われている行事なのである。
 ぼくは現在、宇治市に住んでいるが、実家は久御山。久御山の家にはお地蔵さんが二体祀られている。そのため、8月23日にはお地蔵さんの守りをするために戻るのだが、二体のお地蔵さんの前掛けを一年に一度新しく縫って、「奉納」という字を書き持って行く。
 先ずは、地蔵堂を掃除し、お地蔵さんの一年の汚れを洗い、持ってきた紅白の前掛けを一体ずつ新しいものに替える。それから、お供えの料理や花、提灯を飾りいざ本番だ。



ピラミッド型古墳の都塚古墳を見てきた。

2014-08-16 17:22:43 | ひとりごとの部屋
8月16日、奈良県の明日香村の都塚古墳を見てきた。
この古墳、墳丘を階段状にきずいたピラミッド型の方墳で、6世紀後半に造られたらしい。一辺が40メートルのピラミッド型古墳で、斜面川は7メートルの高さがある。
この墓は近所にある石舞台にまつられている蘇我馬子の父親の蘇我稲目で、仏教を日本にひろめた人物であるともいわれており535年に大臣となった。
聖徳太子のおじいさんでもある。

息子と行ってきたが暑さが厳しく、人気が高く4000人の見学人が訪れ、長い行列が出来ていた。10時に並んだが見られたのは11時半で、石棺が見られたのは1分ほど。
あ~しんどかった!

やっと着いたと思ったらここからが大変。

4000人の見物人。

まだかなぁ!

発掘現場。

ようやく石棺です。

パンフレットをもらいました。

映画「超高速!参勤交代」を観て来ました。

2014-08-07 21:54:07 | ひとりごとの部屋
8月7日、久御山イオンで本木克英監督、佐々木蔵之介の主演の「超高速!参勤交代」を観て来ました。
テレビの宣伝でおもしろそうだから、と思っていたが、それ以上だった。
湧き役も伊原剛志、寺脇康文、西村正彦、市川猿之助、六角精児、陣内孝則、石橋蓮司、それにフカキョンと豪華である。
福島の貧乏弱小藩が幕府の無理難題に挑むというストーリーなのだが、それは8日かかる道程を実質4日で成し遂げるというものであった。
最後に。主人公の蔵之介演じる殿様が将軍にいう、
「政(まつりごと)で、磐城(福島)の土を未来永劫汚してはならない」
と、いった意味の台詞が、今の日本の状況に合い過ぎて胸に迫った。
いい映画を観たという満足感が遺った。




久しぶりに関東に行って来ました。

2014-07-02 23:42:25 | ひとりごとの部屋
ここ数日、関東方面に行って来た。と、いうのも、我が家の二男は東京で勤めており、ぼくの車を持って行くとのことで、取りに帰ってきたのだ。埼玉に住んでいるため、埼玉まで彼が運転して持って行くことになった。彼の部屋や勤め先も見たことがなかったので一緒に行くことにした。
初めての遠距離ドライブのため緊張しただろうが、ナビを頼りに無事到着。それなりに部屋も片付いており安心。
ぼくらは、あとはおのぼりさん見物に出かけた。そのまま東京タワーが見たくなり東京プリンスホテルに電話をした。東京タワー側の部屋は空いてなかったがなんとか泊まれた。夜、食事に入ったホテルの天ぷらやさんでタワー側の部屋を取れなかったことを話していると、お世話係の矢野さんという女性が食事のデザートを東京タワーが見える場所に変えてくれたのだ。感激であった。なんでも茨木出身だということで、ぼくらに優しくなったのだろうか。
次の日は、朝から55周年のタワーに上った。
そのあと、浅草に行って、それから、霞が関に行き、勤め先を見、次に八丁堀の親戚の家に寄った。
その夜は、横浜に行くと決めていた。ニューグランドホテルに泊まりたいと思っていたので、電話をするとオッケーであった。
♫独り呑む酒 哀しくて 映るグラスは ブルースの色
 たとえばブルースなんて 聴きたい夜は 横浜ホンキートンクブルース
♫皮ジャンはおって ホロホロトロトロ バーボン片手に 千鳥足
 ニューグランドホテルの 灯りがにじむ 横浜ホンキートンクメン
のニューグランドである。
ナポリタンの発祥の地だとか、チャップリンやマカーサーが泊まったとかいわくつきのニューグランド、漸く泊まることができた。
最後の日は、中華街で粥を食べてから、元町へ行き、昔懐かしいフクゾーやKitamuraに寄った。
ハードスケジュールで足がフラフラで痛くなったが、けっこう楽しめた。


 
ミニお世話になったね、これからは息子をよろしく。

矢野さん、お世話になりました。


タケシの名前が入るという。

息子の勤務先の前で。

ニューグランドホテル。

流石横浜、外国人と!

赤い靴の少女。
中華街、御粥、石川町元町



劇団京芸の女優「早見栄子さんをしのぶ会」に行って来ました。

2014-06-08 22:53:31 | ひとりごとの部屋
6月8日(日)、劇団京芸の女優「早見栄子さんをしのぶ会」がホテル京阪で行われたので行って来ました。
昨年の9月9日に早見さんは亡くなりました。
劇団京芸の大きな柱として、これまで沢山のひとに慕われた彼女は、最後まで女優として生き抜いたひとでした。
それが証拠に、しのぶ会も100人近い出席者です。
ぼくも納所の稽古場に行ったとき、早見さんだけしかおられなかったとき、笑顔で応対していただいたのが忘れられません。
早見栄子さんは和歌山で生まれ大映のニュ―フェイスとして出発、1949年に京芸に所属され、まさに京芸を支えてこられました。
早見さんの人となりを表すようにあたたかなしのぶ会でした。
女優早見栄子さん、安らかにお眠りください。

早見栄子さん。

在りし日の舞台姿。

藤澤薫さんと。

ひさしぶりに女優、山本育子さんと。