ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

お得意のこじつけ!?ガイダンス

2016年12月21日 23時04分07秒 | 掘り出ねーさん
今年のイエモンのホールツアーは近場の松戸が(私も友人も)外れて、唯一友人の長崎が当たり、修学旅行以来の長崎へ行った。

長崎に行って、あの街並みをブラブラ散策しながら、どういうわけか映画の『ブレードランナー』のひとコマをふと思い出した。


長崎は映画『沈黙(サイレンス)』の舞台、来月21日から公開!

ブレードランナー』もなんと来年11月公開!




私って何をキャッチしてるんでしょう。



この2つの映画は観るよ。
いい悪い抜きで。

1228のライブビューイング

2016年12月21日 21時58分29秒 | 観たぞねーさん
Tジョイ品川、前から3列目、ヒーセさま寄り。

映画館で前から3列目っていうのもなぁ、、、、笑


まぁいい、まぁいい。


どんな感じがするんだろう。
実験気分で楽しみだ。



随分前に突かれたお言葉・その1,082

2016年12月21日 20時06分58秒 | 突言葉ねーさん
それは知りません。
それはわからない。
それはできません。

こう言えないうちは危なっかしくて。



人生の師匠らのお言葉


「「知りない」とか「かわからない」と言えない人はまだまだだ。」

と人生の師匠達が言ってたことが耳に心に残っている。


若いうちはそこに虚勢を張りがち。

知らない恥に格好付けたり。
わからない恥に格好付けたり。

「そのうちはまだまだだ」

って人生の師匠らはよく言った。


成長過程にある一時のうぬぼれ、一時の思い込み、見栄やプライドとは違う。
「自分の弱さを受け止めない危険な幼稚さ」

というか。


俺は知らない。
俺はわからない。

むかし父はよくキッパリと口にした。
あえて口にする意味すらとっくにわかってる風に。



なんでよ?とツッコミを入れたが、


「それは私は知らない、私はわからない」


があるのは当たり前なんだよな。

そこに素直になれて、教えていただく際にはそれに謙虚さを持てるか、なんだなぁ。

長崎・平和公園前にいたネコ

2016年12月21日 19時30分07秒 | 味わうねーさん



このネコちゃん、お腹で息をゼィゼィって感じでしていて、毛並みも悪かった。

瞬間、「あ、長くないな、、、うむ。」と直感したのでした。

私は写真を撮りながらこのネコちゃんにこう伝えたの。

「向こうの世界にバビちゃんっていう小ちゃくて白くてハッピーで勇敢なメス犬がいるからね。
探してお友達になるといいよ。
いや、なってあげてね。」


バビちゃんにも、

「長崎の平和公園前で平和を願ってたネコのお友達がそっちに行くと思うから、仲良くしてあげてね。」

と、念を送ったのでした。

社会に関わらないわ系で社会に漂う輩

2016年12月21日 18時38分52秒 | 観察屋ねーさん
自分の趣味、特技、こだわりをみんなに自慢しながら社会に漂うだけで、決して社会に関わろうとはしてない輩っていますよね。

体裁はいいの〜。
仕事、いや、作業は垢抜けてたりするの〜。

でも社会には関わろうとはしてない
のさ、実は。


ああいう人たちって「なんだろうな?愉快犯?批評家?評論家?を演じたいの?」と思う。


社会に溶け込めなくて、どうしたら、、、って泥臭くもがいている人たちのほうがよっぽど真剣に生きている。


で、この手(社会に関わろうとしない)の輩は必ず人の反感を知らず知らず買っている。

みんなスルーしちゃいるが、何かそういう関わり方に腹を立てている時がある。


私の知る限り、あの方はクビになったし、あの方はいいことしときながら結局自滅。
何をしたいんだかなぁ。



というボヤキ。