長崎は高校の修学旅行以来。
あの時(昭和60年だっけ?)私(達)は自由行動(事前にグループで計画立てて先生に提出して行動するやつね。)をタクシー観光にその場で急遽変更して(バスや電車、タクシー利用は禁止と言われていたのに。あーこりゃこりゃ。笑)、原爆資料館抜きにしてしまったから、これが初めての長崎原爆資料館だった訳だ。
じっくり見ました、読みました。
真っ先に直感したこと。
長崎と広島に落とされた原子力爆弾は、
戦争の一環ではありませんね?
ってことです。
理由づけに利用されただけ。
戦争と日本と人間が。
これは単純明快「爆弾の威力とそれによる影響を観察するための実験」ですよね??
企てた人たちはすでにおりませんが、恐ろしいというより、ただただ狂ってますな。
戦争の年表に平行して、反対運動の年表が並べて展示されているんですが、とにかく「あーあ、人間って本当に弱い生き物だし、馬鹿丸出しね。」というヤレヤレ感にとらわれまくりでした。
反対運動すら虚しいというか、これだって共産国(中国・ロシア)から金が出ててやってるだけでしょ、首謀者は。
反対運動が過激になればこれだって何をしでかすか手に取るようにわかるもんです。
仮に反対運動が良からぬことの抑制になろうが、決して狂った暴走を止めさせることには繋がらないんだよなぁ。ただの綱引き。
私はとにかく「どっちにも加担できないわ」という思いを固く心に誓ったのでした。
いまだアメリカなどで原子力爆弾の実験は続いてる訳で、なんでかってこれでおまんま食べてる(何代にも渡って)人がいるからだよね。
「これには協力しない、できない。
加担もしたくない。」
って言えない人たちがゴマンといる訳だよね。
これもまた「あーあ、なんだかな。」って思わされるだけ。
人よ、強くなろーぜよ。
大事なのは金じゃないよ?
プライドや見栄だけで金は稼げなかろうが、生きていけるよ、自由に楽しく豊かに!!
っていうぼやきが心に渦巻いて資料館を後にするのでした。
その足で、浦上天守堂〜平和公園へ。
平和公園は原爆が落とされる前は刑務所だったのですね。
落とされた時に収容されていた囚人は81人とありました。
但し、うち中国人が30数名、朝鮮人が20人弱。
半分以上が中国人と朝鮮人だったあたり、気になる要素でした。
それはこれらの国に対する偏見が芽生えるということではなくて、これらの国の人達が日本を反日の目で見る要素になっているよね、、、という意味で。
しかしダメなことはダメなわけです、、、
ならぬことはならぬのです、、、