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〇〇べき、普通〇〇に執着するからイライラするのでありまして。

2017年10月19日 23時12分17秒 | 伝われねーさん
「〇〇べき、普通〇〇」という基準はホントに千者万別なもの。

法律で定められてることだったり、そこの慣例であったり、そこの掟であったり、
そういうことを言うなら「べき」とか「普通」がつくのも仕方がないことだろう
けども、

人のイライラから口に発する「〇〇べきじゃない?(イラッ)」とか「普通〇〇よね?(ツンっ)」っていうことは個人の主観とか、見えない(一部の人だけで共有されている)ローカルルール前提みたいなことであることが多い。

そ~んなこと(静岡弁風)、「そもそも執着することがしょーんないことだよぅ。(仕方がない)(静岡弁風)」というか、

「「執着しようがどうせどうしようもならないことなんだよな、、、」ってどこかでわかっていながらイライラして途方に暮れる」というか、

「そもそもそれがおバカさん」って思う。


幼いころから思っているのは、

「べき」と「普通」なんかに執着しない努力や修行を各自が行えば、イライラしてるヒマなんかないんだよなぁ、そのほうが穏やかで平和じゃんかぁ。

ってこと。

「べき」と「普通」にしがみつくと思考が育たないよな。楽なのよ、まぁ。考えなくて済むからね。
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