ねーさんとバンビーナの毎日

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「もどかしい」で取り乱す人。

2009年09月23日 12時25分15秒 | 観察屋ねーさん
自分の思うようにならずイライラ・ガミガミ取り乱す人ね。


言葉が足りないんですよ。ハッキリ言って。
とにかくいっぱいしゃべるんだ、確かに。無駄な言葉を羅列する。
だけど、言葉が足りないんですよ。ハッキリ言って。



どういう言葉が足りないかって?
自分の行動が伴った言葉になってない上に、
必要以上に言葉を羅列していくでしょ。
だけどその言葉には魂が何にも刻まれてないの。
だからうっとうしいんだよね、そういう言葉は。


魂が刻まれた言葉は熱くてウザイんだよね、とにかくウザイ。
うっとうしいのと違う。ウザイの。

あたし? ウザイほうがなんぼかいいと思う。心が疲れても何かが残るから。
うっとうしいのは耳が疲れちゃう。耳で疲れちゃうから心には何も響かない。

ウザイ人のほうが「哀しみ」が「怒り」に繋がるのを知ってる。
うっとうしい人のほうは「悲しみ」を「哀れ」に繋げてるのを知ってる。


悲しみは哀れか?
「そう思って同情するのはものすごく失礼じゃないだろか?」って思う。

哀しみは怒りか?
「そう思って怒りをバネにしたり毒になったりする人っていいんじゃないの?」って思う。


えーっと、その両方がなんにもない人達。
「大丈夫かね?君たち??」って思う。
「自分で一生懸命活きてますか?」って思う。

そう考えると、「うっとうしい」も認めたくなる、妙。

「ウザく」もなくて「うっとうしく」もない人。
ダメだ、活きないと。自分で活きないと。
厳しいですか? でもダメだもん。 だから言っておく。




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