ねーさんとバンビーナの毎日

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族は族でかえってあってよくて、大事なのは。

2009年09月09日 21時52分25秒 | 伝われねーさん
「和」せる者同士から「和」していけばいいんじゃな~い?


「族同士が和せない」ってないと思うのね。

「和していく条件が整わないから距離を置く。」っていうのはあってもよ?

族同士が和せない要因は、自分の欲望のコントロールが狂ってるからだよ。

なんでも「欲しい欲しい」と欲張ってませんか。
必要以上にカッコつけて中身の成長以上に見栄張ってませんか。



会社に勤めるということもひとつの「族」に属するということだから、そこの「族」の行儀に習うしかない。

労働組合があったり、親睦会みたいのがあったり、そうやって従業員によって組織を作って、会社と交渉するという仕組みが出来上がっている会社に勤務してたって、「族意識の高い社員」がやはり会社に馴染み、可愛がられ、年長者にしごかれ、おかげで成長し、要として働くようになる。


これはこうなるよりほかならない。
族意識が悪いことないもの。



しかしこの「族意識」があるときから急激に変化したと思う。
「家族」じゃなくて「個々の利益重視の癒着による族集団」という感じに。



これだから「和」していけるわけがない。


愛社精神も愛国精神もへったくれもないんだから。
自己愛精神の者同士が他人の家に住み着いて、その家の行儀は無視で、ばれないように裏で謀って手をつないで、和している雰囲気を醸し出しているだけなんだから。


みんな誰しも「家族」という「族」の中に所属して生きて活きて繁栄して積み上げて歴史を作ってきてるんだから、「族」ってあってしかりなんだよね、と、あたしゃ思うよ。


政治家で問題になってるけど、「族」をむやみに取っ払う必要はないと思う。


「とある族」に「べつの族」が「和した」っていいわけだし、変に「族は絶対にダメですっ!」って荒らすからややこしいことになるんだと思う。


天涯孤独で「族に所属してません。」という人でも、何かしら「族」の中で世話にならねばならない時は、「族」の行儀に馴染む努力はしたほうが絶対に賢いのになぁ…したたかでもなんでもないよ?…と、常々思う。

「行儀を叩き込むなんて、そんなのできない!」って言うならば、静かにおとなしく従うまでだし、「納得いかないっ!」って言うならば、反発するんじゃなくて、毒を吐き返してやるくらいの「見返してやる努力」をしないとダメだに?

って、つくづく思う。


みんな「族に族してる」ということを、忘れていると思う。
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