ねーさんとバンビーナの毎日

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「我慢」と「辛抱」

2011年11月09日 11時43分34秒 | 2種分ねーさん
がまん【我慢】

仏語。我に執着し、我をよりどころとする心から、自分を偉いと思っておごり、他を侮ること。高慢。


しんぼう【辛抱】

つらいことや苦しいことをこらえ忍ぶこと。




くれぐれも言うが、「我慢」は万病の元。(高慢のしっぺ返しなのよ。)
「我慢」させるようにし向ける人がいたとしたら、(絶対にと言っちゃおう)距離置くべし。
我慢がきかないこちらが悪いんじゃない。
「我慢しすぎてる(通り越して裏返っちゃって偽善者演技(ウソ)に入ってる)あなたが心配、自分で自分がわかっているようでわからなくなるぞえ?」ってそう思う。


そのかわりに「辛抱」
これは「気づき」を導く精神鍛錬
「我慢」とまるで違う


我慢の場合はそのことをあんまりわかっていないまま漠然と(他人の目とかウケを気にして(←結構損得勘定入ってる))ポーズ(演技)する感じ
辛抱の場合は○わかっていて(×損得計算上)それを受け入れて自分を成り立たせてるからだ。



辛抱してるのが伝わらないと「コノヤローっ!ウォォォォォっ!!!」的に一時何か叫び出したくなることもあるだろう。
「○怒る(×キレる)」ってのもそれだったりする。
それが例えば、スポーツやカラオケ、継続力に変換されたり。

我慢がきかなくなくなる人は(暴言でも毒でもいい)吐き出さずにいい顔しておいちゃぁ「○キレる(×怒る)」からわかりやすい。
(だから「我慢すんなよ」ってことなんです。「キレるあなたが辛抱できない幼稚体質」ってことです。「キレさせたほうが悪い」っていう主張はまずはやめて欲しい感じで。)


「この状況、しばらくは辛抱だね・・・」って人には味方もつくが、「我慢しなさい」「我慢が足りない」って人からは人が離れていくのは必至。
だって、「我慢しなさい」「我慢しろ」と言う人は(実のところ)ことの成り行き把握(洞察)が出来てないことうけあい(我にしか執着してなくて他を侮ってるから)だからさ。


我慢しちゃう人側にすると、辛抱出来る人を「なんだか可哀相」だの「なんだかバカみたい」だの「理解不能・・・」だの、そういう風に解釈するように映る。
その度に、「我慢してるほうがオカシイんだってばヨ。この高慢な嘘つきめ??」ってツッコミを入れたくなる。


例えば話。

皮膚疾患があってこらえきれない痒み症状が出ているとする。
病院に行って先生が、「痒みはとにかく我慢してください。我慢しなくちゃダメですよ。」って言ったとしたら、オバチャマの場合は、「♪ブブーーーっ」と心の中でブザーが鳴り響く。
心理として我慢ならないから(←ウソつけない)掻いてしまうんだよ。


「痒みが出たらとにかく薬を塗って症状を抑えて辛抱してください。掻いたキズからまた症状が悪化してしまうから、とにかく薬で抑えて辛抱してください。」っていう言い方をしてくる先生だったら、「♪ピンポーン!」と心の中で鳴り響く。
心理はこちらのほうが落ち着くぜ。(そうなってみな?実際。)



ということで「脱我慢」をぜひとも推奨致します。
辛抱推進ってことで。(「おしん」だの「あぁ野麦峠」みたいだの言ってんなよ。(笑))

我慢のきかない時期(でも辛抱はしている)は誰にだってあるんですよぅ。
思春期は特にこれが上手く説明できないってヤツだよね。
そこを「我慢しろ」ってせっつくから逆効果。
○頭のいい子(×賢い子)はかえって「我慢できてる風演技や言動理論」を編み出しちゃって、これがまたヘンな性格形成につながったりね。

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