ねーさんとバンビーナの毎日

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やっぱりモリマリ20111006-02

2011年10月06日 19時28分30秒 | 紹介屋ねーさん
最近又文句が来た。
「升田九段の悲劇」について、将棋は指すというべきで、打つというのは間違いである、という文句が来たが、その手紙はその文句が、意地の悪い教師の口小言のように便箋一枚分たっぷり書き並べてあって最後に一行、だが話は面白かったです、とあったが、最後の一行を先に書いて終わりに、だが将棋は打つではなくて、指すではないでしょうかと、附け足してあるのだったら、大分感じはちがうだろう。




まぁ文句をつけたい人はほとんどがこうであって(笑)、「自分の○知識(×見識)を見せつけて勝ち誇りたい」っていう心理なだけだから、正面から相手する必要がないのである。

オバチャマもそういうような場に触れて、

「あ~あ。で?(感情すらわかないくらい「どっちでもいい」と思う感じ)」

って思わされることはあるわけなんだけども、そういうのを面白がれる人もいて(ゲームのように)、

「早く終わらないかなぁ・・・
このマジでっとにどーでもいい○知識(×見識)ひけらかしのお戯れ劇・・・」

と思いながら、

「別の領域に心を浮遊させてその場のお戯れを鑑賞しつつツマミにしながら、時間を保たせる」

みたいなことをしてるのは、正直なところ子どもの頃からよくある。


モリマリさんが言うように、最後の一行を(自然に)先に書けるような人は、文句をつけたい訳でなく、その人を○愛している人(×好きな人)である。
そこら辺りを常に気をつけておけば、友人選別なんて簡単だ。

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