ねーさんとバンビーナの毎日

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やっぱりモリマリ20110909-03

2011年09月09日 21時18分04秒 | 紹介屋ねーさん
中村歌右衛門が文化勲章を受けたことについて、いろいろな人物の是非の意見が発表あれているが、文化勲章というものが、日本の文化を高揚した人物に、与えられるものだとすると、歌右衛門が受けるのは当然である。

是非の論の中で、寺山修司と、福田恆存(つねあり)との意見はともかく肯けたが、他の人々の論旨は私には理解出来ない。

唐十郎の、現在の歌舞伎がエネルギーを失っているというのは真実らしいが、(私は大正初期以後の歌舞伎しか見ていないが、昔の恋愛場、所謂(いわゆる)濡れ場は、現在の歌舞伎から見ると驚天動地のものだったようだ)明治になってから、道学者、又は道学者めいた意見を吐く人々によって、寄ってたかって骨抜きにされたのが、現在の歌舞伎である。

どうがくしゃ【道学者】
道学を修めた人。道学を説く人。


歌右衛門なぞはその元の形の残らぬまでに骨抜きされた歌舞伎の世界の中で、情緒を充分残している役者の一人である。

歌右衛門の八つ橋の縁切りの場の哀艶の情緒は素晴らしい。

佐野次郎左衛門が、お職の花魁にもてたというので仲間の商人を五、六人判れて、もてるところを見せようというのでやってくる。

(これが八つ橋花魁だ)

引き合わせると八つ橋は

(わたしゃお前に惚れた覚えはない)

と、冷たく言い放つ。

商人たちは

(きくと見るとは大きなちがい)

と口々に笑い囃やす。


案に相違の愛想づかしにおろおろと、なすところを知らない次郎左衛門から顔をそ向けて座り、少し立て加減にした片膝に、長煙管(きせる)を突き立てるようにして俯向き、じっと耐えている八つ橋の姿には、悪足(わるあし)(花魁から金を絞り上げて、自分は何もせずに暮らしている男)があるために、客から絞り上げるだけ絞り上げると、次の客に移らなければならぬ、そのためには惚れたようすもしなくてはならない辛さが、滲み出ていた。

その姿には又、今書いたような、恐るべき恋愛現場が次郎左衛門との間に、たしかあったことを肯かせるところがある。





情緒が無いのだよ、情緒がねぇ、今って。
効率ばっかり追っかけてるから、世知辛いばっかりでね。
頭ばっかり働かせて、「ハートを傾ける時間すらない」みたいな人、ま~~~~だ多くてね。

芸術も廃れるばっかりですね。

うちの父の口癖にも「○○って情緒がないんだよなぁ・・・やんなっちゃう。」って「情緒」って言葉がしょっちゅうでてきたっけなぁ。
その度に「わかんないよぉ、言ってることが。情緒ってなに?」って聞き返してたような。




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