ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

やっぱりモリマリ20110909

2011年09月09日 20時07分18秒 | 紹介屋ねーさん
今日からしばらく(出し切ったと思うまで)続けようと思う。


モリマリ=森茉莉さんである。
あの森鴎外(高瀬舟とか阿部一族の作家で有名な)の長女だった人である。
このオバサンの「辛辣さ」と「手厳しさ」と「ユーモア」は群を抜いて「抜っ群~~~!」なのだ。
それだし今、日本人が気がつかされることも沢っ山、書き残してくれているのである。


ここに抜粋して書き出したいのだ。
どーしても。


賛否両論あろうが、何か「!?(ハッ)」こういう感じにさせてくれる人、この森茉莉さんって人。


この人の本はマジお薦めする。
みなさん、買いなはれ。(オバチャマは何の得もないですが。徳はあるかもしれん。)


いや、爆笑無しではいられない、モリマリさんの辛辣さ(手厳しさ)に尊敬。




巴里に、毎日各卓子(テーブル)に新鮮な花を一輪ずつ差してあって、帰る時にそれを持たせて帰すレストランがあった。
客が帰れば補足するのである。
或日私はそれがひどくうれしいので、喜色満面でその花を手に持って立ち上がった。
すると横の卓子で私を先刻から見ていた若い紳士が起ち上り、自分の卓子の花を持って来て私に呉れたのである。
巴里は素晴らしい。
日本にはそんな贅沢でしゃれた料理店もないが、そういう、自分の気持ちを素直に表現する男も無い。
私の夫だった人は日本人の固さをたっぷり持っている人物だったので、その紳士に対して有難うという気持を現わす笑顔を向けることをしなかった。
紳士は彼がやきもちを焼いたのかと思っておどろいたかも知れない。
日本というのはつくづく思うのだが固い、野暮な国である。

ついでにもう一つ、いきな話を書こう。

巴里に大変洒落た、面白い風習がある。
それは一月元日の午前零時きっかりに街で出会った女の中で、好きだと思った女には接吻をしていい、という一つの行事である。
これさいわいと、日頃想っている女に接吻することは出来ないようになっている。

私は夫だった人物とその先輩の一人(辰野隆(ゆたか)というフランス文学の大親分である)と三人で大晦日の晩、オペラの帰りに近所の珈琲店(キャフェ)、ラビラントに寄った。
少時(しばらく)すると午前零時になり、ソフトをあみだにずっこけて被り、外套(オーヴァー)を担いだ肩で扉を開けて入って来た美しい男があった。(これは巴里の遊び人風の紳士の扉の入り方である)

その人は扉を開けて入り、隼のような素早い目でキャフェの中を見廻したと思うとつかつかと、私の前に来た。

私を身ぶりで立たせ、私の隣にいる夫と辰野隆に「Vous Permettez?(ヴ・ペルメッテ)」(いいでしょう?)と言うと右手を壁に突かい、腕で夫たちの目を遮断すると左手でソフトを弾いて後へずらせ、私の頬に軽い接吻をし、続いて小声で「Faut rendre(フォ・ランドル)」(返さなくっちゃあ)と言った。

私は生まれて始めてのことなので、その紳士の顔が大きく広く拡がって白い壁一杯にぼやけてみえる。

夢中の状態で紳士の頬に触れたか触れぬかの感じで唇を触れた。
ほんとうのことを言うと触れたのか触れなかったのか覚えがないのである。

その時紳士はやにわに顔をずらせ、唇が私の唇に丁度あたるようにしたのである。
私は愕いて顔を離し、腰を下ろしてしまった。

暖炉で温かいキャフェの内部は曇った硝子窓に囲まれ、人々の「bravo! bravo!」と囃す声と拍手の音が私を取り囲んでいる。
思うのに十四、五歳の奥さん(日本人の顔は凸凹が少ないので私は十四、五歳に見られていた)と、美男の紳士との接吻現場に湧いていたのだ。

とにかく面白かったのは一人の年もかなり取っている娼婦(それも下級ので、顔も悪い)がアプサンの洋杯(コップ)をおき、肱を高く上げて、しきりに拍手している姿である。
日本の娼婦にはない愉快なことだ。

夫だった人物は小山内薫に似た美男で、おかめ型の私は釣り合わないと、母なぞは言っていた位なのだが顔色が悪く、悪く言えば、悪く言わないでも青黒くれ皮膚も荒かった。
又眼は陰気に光っていたので、巴里人の目から見ると蒼黒いdiable(ディアーブル)(悪魔)に見えた。

巴里の男の顔はみな明るい。
かさかさした蒼黒い人間は一人もいないので、彼らは話にきいた黒死病(ペスト)かしらん、それともdiable(ディアーブル)かしらんと、恐ろしそうに彼を見た。
帝大卒の銀時計(昔は優等で卒業すると銀時計を貰い、芥川賞もどきの華やかさだった)で、小山内薫そっくりのいい男も、巴里では形無しだった訳だ。

それで、巴里の下宿の近辺では蒼黒い悪魔が、十四か五の可哀らしい少女を奥さんにして連れ歩いている、という印象を、見る人全部が持っていた。
そこで蒼鬼と一緒にいる可哀そうな少女と巴里の美男との接吻現場、しかもひどく初心(うぶ)な様子の場面に大いに湧いたのである。

ところがその後がいけない。

私が人々の拍手喝采におどろいて辺りを見、さて横の夫たちの方を見ると夫も、辰野隆も苦虫を噛み潰している。
巴里のいきな風習だということは判っていても、紳士の腕で遮られていて実状がわからないのだから夫の方が不機嫌なのは判るとしても辰野隆が不可解である。

まるで荒尾謙介が宮さんの不義をみつけたような感じで青くなって黙っている。

夫が「行こうか」と言い、二人が立ち上がって店を出、私も後に続いたが、まるで悪い事をした感じで腹の中はとに角、感じとしてはすごすご二人の後から歩く自分の姿が遣り切れない。

ことに日頃、艶話ばかりしていて、(お月様さえ夜歩きゃなさる、主の夜歩きゃ無理はない)なぞと首をふりふり歌い、巴里の艶事(いろごと)なら俺にきけとばかりに通人ぶっている辰野隆のこの仏頂面はなんのざまだ。
怒った肩が氷山のように鋭く尖っている。


私は状態を説明する気も出ない。

巴里に於ける日本紳士のざまというのは皆さん、こんなものです。
(明治時代ではなく、時代は大正で、彼らはフランス文学者なのだ)

あどけないという年齢を六十五年も過ぎている現在もかなりのあどけなさで、莫迦げている私だが、頭の中の考えはその頃から幾らか大人だったので口惜しさ、莫迦莫迦しさに地団駄踏む思いだったのである。

とんだ通人があったものだ。




痛快、痛快。




(つづく・・・)








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