ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

友人の感嘆

2009年02月24日 00時13分26秒 | 知言葉
○○○ちゃんは本当に強いよ。

強いっていうよりも「(あんまり)動揺しない」っていうのが要因でしょうか。
動揺しない=(子供の頃から)自分の型を決めちゃっているのはあるので。

「物事はなるようにしかならない。」から、すべてに対して過度な期待はしてないしねぇ。
「相手に期待をしないことは親切だ。」と信じて疑わないところもあるしねぇ。
「期待だけをかけるくらいだったら一緒に動いてあげられるくらいじゃないと不親切だ。」と信じて疑ってないしねぇ。

「この事がこうなると(いい方向になると)いいよなぁ。」みたいな想像をして行動するのが(ね)の戦術だったりしている、ず~~~っと。
で、想像していた「こうなる」が「こうなった時」に次のステップに進む、みたいな。

結局「物事はなるようにしかならない」じゃん。
なんでって、自分一人で世界が動いている訳じゃないからね。
いろんな人間が絡んで交わってひとつの社会を作っているから、感情もいっぱい動いているし、そもそも身分の階級はある訳でね。
そこを分かってないでヘタに動いてもどうにもならないもの。

身分の階級が上のほうの人達を、
「うらやましいなぁ。」とか「どうせ悪い事してるんでしょ?」とかそういう思いもさらさら無い。
そういう人達は人達で、人と交わらないといけないとか、地域と交わらないといけないとか、
いろいろな大変な(見た目は華やかでも)コミュニケーションを背負って活きているハズなので。

「悪い事してるような人達」っていうのは身分の階級が上の人では無くない?
「お金はいっぱい持っている」というレイヤーに多くないか?

だから所詮庶民は「この事がこうなるといいよなぁ。」と目の前に来たものを真面目にこなすしか無いと思ってる。

「物事をなるようにしてっちゃう!」って人はそれはそれでスゴイけど、
そういうことをするのも極々一部の階層の人達の中でのことであってさ。

庶民の(ね)なんて、ほとんど興味が無いのです。

「物事をなるようにしちゃう!」っていう想像が出来ないのです。
これが出来ると「資本主義社会の中のビジネスが出来るヤツ」っていう風になるんだろうかね。
所詮想像出来ないっていうことは自分には出来ない事なんだと思うんだよね。いくら鍛えても多分ムリ。
持って生まれてないし、おまけにそういう風に変化できる要素も持ち合わせていないみたい。

「目の前に来た難題をなんとかしちゃう!」ってことは案外想像が働くので、得意かもしれません!?
だから請け負ったデータベース構築は一通り完全導入/先方の目的達成までこぎ着けてるしな。

だから別に強いわけじゃない。
単に「動揺しないだけ」なんだな。

だって、

「自分で出来ること」
「自分なら背負ってでもすること」
「自分なら世間がいいと言おうが絶対やらないこと」

が決まっているから、案外。

だからそこがブレる言動がある人を見かけると不思議でならないわけ。
言葉の使い方がブレるということじゃなくてさ、ポリシーとかスタンスにブレがあるケースね。

「動揺しているような風味もあるよ?」と思われるのなら、
それは「困っている時」でしょうね。


どう‐よう【動揺】
ゆれ動くこと。
心や気持ちがゆれ動くこと。
平静を失うこと。
社会などが秩序を失い乱れること。

き‐たい【期待】
あることが実現するだろうと望みをかけて待ち受けること。
当てにして心待ちにすること。

こま・る【困る】
不都合である。迷惑する。
※この意味での「困る」です。
 幼少より案外「自分」があるので、「親切はすごく分かるんだけど自分には不要なんだよなぁ。困ったな。」ってやつ。
 親切心が分かるから叩ききれないしね。


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