ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

クローズアップ現代

2013年11月05日 23時05分11秒 | 考えるねーさん
今日のNHK『クローズアップ現代』は「知られざる“同胞監視”~GHQ・日本人検閲官たちの告白 ~」というテーマだった。

およそ70年前の終戦直後、大規模な電話盗聴や郵便検閲を、日本でも行っていた事実を伝える資料が、今年、憲政資料館で見つかったということで、検閲を手がけた日本人たちの苦渋の決断、戦後70年近く背負ってきた苦悩の知られざる一面を紐解くという内容だった。

インタビューに応じていた80代後半の男女。
女性の方は当時「このような仕事をしている」と知り合いに言ったら、「そんなことをして・・・(「とんでもない」という含み)」と厳しい口調で言われ、心にその言葉が突き刺さった・・・と語っていた。
男性の方は「終戦後でお金がなく、拒否のしようもなかった。」と語っていた。



社会に関わっていると、多かれ少なかれ、「これに関わってると、協力関係ってより加担になってしまわないだろうか、どうだろうか?」と考えさせらえる出来事に出会う。
オバチャマは忘れもしない重大なことが(仕事の面で)24歳の時に巡ってきた。
自分のやり方(理念というか憲法というか法律というか)が相手(上長)の思うところに添っているのか、添っていないのか、そこが明確になるところまで自分を突き通して、「添ってない(「単に加担しろってことだな。」ということがわかったら)」とわかったら「それ以上は関わらずに自分が退く。」と腹に決めたもんだった。
実際、退くことになったんだが、あの判断は良かったと20年経って思っている。
でも、ある程度のスキルを築き上げ、人脈も築き上げていた頃だったので、かなり勇気のいる決断だった。


戦後の時代に生まれた人間でもないし、その頃をリアルにくぐり抜けてきた先輩に対して厳しい意見かもしれないが、「アメリカのこの作業に加担したのはいかがなものだろうか・・・?」と思ってしまう。
アメリカと何かを成すべく切磋琢磨して協力し合ったのではなくて、単にアメリカに加担しただけな訳で、これは・・・。



『加担』っていう意味ではここ20数年は「あることに“加担”してる人達」ってどの業界でもいっぱいいると思うわぁ。
「○事実(×裏、奥、真実)だけ見ればいいんですよ。(所詮お金稼ぎ、何を気にしてんの?風)」とか口にする人とか、やってまいがちでは?(忘れもしない、麻生太郎さんが会見で朝日新聞の記者に「お宅は事実しか書かないんでしょ?」と言った皮肉!!ナイス!!)
テレビを筆頭にメディア関係なんてわかりやすくて、もう、、、もう、、、(ワナワナ、ガクガク・・・)
「うあぁぁ・・・遠巻きで関わろう(買わないとか、見ないとか。)・・・」って思ってるわぁ。

切磋琢磨して協力してる関係が健全。




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