ねーさんとバンビーナの毎日

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昭和33~36年生まれくらいの人たちから良く聴いたニュアンスのご指導

2010年12月02日 14時08分04秒 | 観察屋ねーさん
いいんだよ、いいんだよ。
“事実”だけ拾って、体裁だけ作って納めて、ちゃんとやる必要ないの。
ちゃんとやっちゃったら「あ、そこまで出来ちゃうんだ?」って思われて後が面倒臭いでしょ?



っとにねぇ、全員とは言わないんだけどねぇ、
要所要所、いるんだよねぇ、共通してるの。


この世代なんだよ、必ず。っとに。


どーしたことかね。


一体何を言いたいのかわからんのよね。今も。


「じゃぁあなたならどーやってやります?」という疑問が沸きますよね。


そうするとさぁ、

「あんた、それじゃぁ、相手を小馬鹿にしてるか、揚げ足取ってるか、そういうのと結局は同じじゃないのぉ?
相手はそれをやって大丈夫な人かどうか?っていう目利きは出来てんの?あんた??っとに??
矛盾が出てきてどうかなったら責任取る気あんの?あんた??っとに??」

みたいなこと言うんだぁ。


でもご自分の中のロジックっていうかその整合性は取れてるらしいのね。
まぁ○逃げる(×回避する、×矛盾を受けて立つ)ロジックすら組み立ててあるわけよ。


んで、やっぱり矛盾が出てきて、それを「あの人に言ってもしょうがない。理解出来ないみたいだし。」って帳合い取って苦労する人間が必ず出てくる結果になるのね。


もしくは、その矛盾からでた“事実”を拾ってまた手直しして、
「こうすりゃいいだけでしょ?何を騒いでいるの?(へへん!)」みたいな親切を振りまくような人も出てきたりして、「いや、だから、そうじゃなくてよ・・・(しらねーよ。もう。)」とかいう、笑ってあげたくもないコントみたいな無限ループに陥っていくのね。

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