ねーさんとバンビーナの毎日

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「二面性(多面性)がある」と「裏表がある」

2011年09月22日 17時55分13秒 | 2種分ねーさん
二面性(多面性)があるのは、

ある時は大変品のいいお嬢さん(お坊ちゃん)に見えるのだが、
ある時はどこかのすごい不良に見えたりする

とか、

ある時は大変優秀なお嬢さん(お坊ちゃん)に見えるのだが、
ある時は大変子どもっぽい阿呆丸出しのお嬢さんに見える

とか、

そういう素の部分。

こういうのは計算ってことじゃなくて、その場その場に溶け込んじゃうからだろうと思う。
「勘がいい」っていうのもそういうことなんじゃなかろうか。

だからその場に居合わせなかった人にしてみたら、「へぇ、あの人ってそうなの・・・?」とかいうことになるだけのヤツ。



裏表があるのは、

ある時にあることを(表の表情では)ああやっていたのに、
ホンネを突いたら、まったく別の考えを言いやがった・・・(←「言葉がこないだと違う」とかいうことじゃなくて考え方の根本の部分)

とか、

あることをああいう手段でやったのが、
みんなの為風でいて、所詮自分の為だけだったのか・・・

とか、

そういう相当計算じみた○黒い(×汚い)部分。
「腹黒いなぁ・・・お前・・・」とか言われるのがこれ。

こういうのってのは「ずる賢い」っていう手のヤツで、まぁそれをやる相手次第では有効に効き目があって「賢い。」って評されたりもする手のヤツ。



今ここ10年ってのは裏表の使いようが発達してる人のほうが生きやすいかもね。
二面性ってほうが「受け入れられない、引っ込んでて」ってされちゃうっていうか。

でも、人間味として面白いのは、二面性や多面性なんだけどね。
裏表には「面白み」はなくて、しいて言えば「裏で使えるな。」ってヤツ?

二面性とか多面性、そこを鑑賞する心の余裕すらないのが今の世の中。
裏表は鑑賞じゃないからさぁ。

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