ねーさんとバンビーナの毎日

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やっぱりモリマリ20120204-02

2012年02月04日 12時29分08秒 | 紹介屋ねーさん
幼い私の着物、帯、リボン、草履への欲望は無限で、たべるものでももっと、もっと、と欲しがって際限がなかった。

枝から枝へ奔走して餌を運ぶ鶯と、嘴を大きく開けたきりの雷鳥の雛の映画を見た私は、幼い私をそこに見たようで、思わず心の内で笑った。

晩年になった今、着物がまるで無い同様になったのは、欲ばりの罪が罰せられたのかも知れない。


『記憶の繪』より。



これは「もっと!もっと!」と欲望から欲しがったんではないんだろうと想像。
「これは分かったから次!その次!はい、その次!」って感じで、わかりたかったというか、自分の中で決めてる最終目的値(創造の完成形というか)に到達したかったんだろうと想像。

だって、「鶯と雷鳥の雛に自分を見たようだ」って心の内で笑えるって、客観視してるんだもん、結局。
そうやって客観視しながら、まだ「もっと、もっと」って出来るって、単なる欲望と違う。○執念(×執着)っていうか?

欲望で「もっともっと!」の場合って、そういうモノの見方というか形容の仕方なんかま~~~~~ったく忘れてるから。

晩年にあれだけもっともっとと欲しがった着物がまるで無い同様になったというのは、もう「あれもこれも」と自分の手にしなくても、わかりきったってことなんだろう。

「収入が減って思うように買えなかった」とか、そういう理由ともどこか少し違うんだろう。
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