ねーさんとバンビーナの毎日

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苦労の質。

2011年04月04日 23時07分36秒 | 観察屋ねーさん
例えばその1。

子供の頃(例えば中学生とかさ~)から自分が使う必要のあるお金を稼ぐことを自分でしてきた人。(「大学に行く金は自分で稼ごう」とか。)



例えばその2。

子供の頃(例えば中学生とかさ~)から家族が使うお金を稼ぐことを自分でしなくちゃいけなかった人。(突然の親の死とか蒸発とかさ。)
こういう負担がのしかかってきて何かを諦めなきゃいけなくなった人。




この2つの苦労のパターンって後の出方がまるで違うんだでぇ。

前者は自分で目標は掲げられる分まだ恵まれてる。
それにはやっぱり家族がひとまずなんだかんだで安定してるからだ。
こういう人の場合、やっぱりオトナになっても他人に辛い。
「自分はこんだけ自分でやりきってきてるし、金も稼いだぞ、自分で。」という辛さ。

後者の場合って目標すら掲げられないケースがある。
最大のネックは「家族が安定してない」ってことだ。
これは日々精神的な安息が無いから不安定になる。
「ご近所に恵まれた」とか「知人に恵まれた」とか良い人の出会いがあればまだしも無かったら不安定のままでいるしかない。
こういう人の場合、やっぱりオトナになっても不安定で、辛い人に負けてしまう。
「自分はこんだけ自分を作ってやってきてるのに。」という負け。



その原因からくるとある症状があったとして、それが苦痛だったり迷惑であっても、ひとまずそれを許してやらねば仕方が無い。
「それが足かせだ・・・」とか恨んだから負け。負の連鎖になるだけだしね。

目の当りにしちゃった場合は、

「アイツもさぁ、まぁお前にはまだ理解できないかもしれないけど、いろいろ大変だったみたいなんだよ・・・
なかなか難しいかもわかんないけど、ひとまずわかってやってくれな。」

と諭すしか無い。

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