例えばなんだけど、買った商品を使っていて不安(×不満)にさいなまれるってことってありますよね。
特にコンピューター関連製品とか多いと思う。
会社のコンピューターシステムを構築してみたんだけど「何かが○不安(×不満)で仕方がない」みたいなこととか。
それを例えば「なんとかして欲しい」と食い下がってお願いしても解消はしてやれないんだよねぇ。
思うに「不安」ってのは「頭」で理解出来るとひとまず解消できるのかもしれない。なんかそう思う。
どうやら「心」ではなさそうだ、「頭」なんだと思う。
ただ、「作るもの」ってまず「頭で理解させるように」っていう発想で作らない。
「漠然としてる感覚的な部分に添うか?添ってるか?」ってところを見ながら作るっていうか。
そうすると「頭で理解させる理論的な説明」ってのがウソになっていく場合があるんですよね。
ウソってのは大げさか。どうしても「作り」を入れて行かないといけなくなっちゃう。
それで「安心」してもらったとしても、今度は作り手のほうが不安感に苛まれてくる訳だ。
ウソ(作り)を言ってしまってるから。
「言葉にはしきれなかったにせよ、「言葉と言葉の間にある意味や含み」とか、果たして通じてるかなぁ・・・」とかさ。
これねぇ、よろしくないケースに発展するんですよ。
こうなったら、いくら食い下がられても、損しても退くしかない。
だけど「不安」を解消してあげられる製品って、あんまりセンスのよろしいモノが無いような気がする。
センスっていうのは「見てくれがいい」「スペックがいい」ってのとも違う。
結局「重点=不安解消」ってこういうことになるから、固くなっちゃうんですよねぇ。
「視野が狭い」っていうかね。
不満をぶつけてくる(ここをもっとこうして欲しい(←具体的提案(×批判)))人のほうがモノを作る関係としてはアリで健全だと思う。
やっぱりこういう相手のほうが超○面倒臭くても(×ややこしい)超楽しいのと、気が済むまで○改善(×改良)して価値が上げられるから。
「頭の納得」をせっつかれない相手というのは、ウソつかなくて(作りしなくて)済むんです。健全でいられるんです。
すぐ○改良(×改善)しちゃうのって不安感がある人がやっちゃいがちのことかも。もしかしたら。
特にコンピューター関連製品とか多いと思う。
会社のコンピューターシステムを構築してみたんだけど「何かが○不安(×不満)で仕方がない」みたいなこととか。
それを例えば「なんとかして欲しい」と食い下がってお願いしても解消はしてやれないんだよねぇ。
思うに「不安」ってのは「頭」で理解出来るとひとまず解消できるのかもしれない。なんかそう思う。
どうやら「心」ではなさそうだ、「頭」なんだと思う。
ただ、「作るもの」ってまず「頭で理解させるように」っていう発想で作らない。
「漠然としてる感覚的な部分に添うか?添ってるか?」ってところを見ながら作るっていうか。
そうすると「頭で理解させる理論的な説明」ってのがウソになっていく場合があるんですよね。
ウソってのは大げさか。どうしても「作り」を入れて行かないといけなくなっちゃう。
それで「安心」してもらったとしても、今度は作り手のほうが不安感に苛まれてくる訳だ。
ウソ(作り)を言ってしまってるから。
「言葉にはしきれなかったにせよ、「言葉と言葉の間にある意味や含み」とか、果たして通じてるかなぁ・・・」とかさ。
これねぇ、よろしくないケースに発展するんですよ。
こうなったら、いくら食い下がられても、損しても退くしかない。
だけど「不安」を解消してあげられる製品って、あんまりセンスのよろしいモノが無いような気がする。
センスっていうのは「見てくれがいい」「スペックがいい」ってのとも違う。
結局「重点=不安解消」ってこういうことになるから、固くなっちゃうんですよねぇ。
「視野が狭い」っていうかね。
不満をぶつけてくる(ここをもっとこうして欲しい(←具体的提案(×批判)))人のほうがモノを作る関係としてはアリで健全だと思う。
やっぱりこういう相手のほうが超○面倒臭くても(×ややこしい)超楽しいのと、気が済むまで○改善(×改良)して価値が上げられるから。
「頭の納得」をせっつかれない相手というのは、ウソつかなくて(作りしなくて)済むんです。健全でいられるんです。
すぐ○改良(×改善)しちゃうのって不安感がある人がやっちゃいがちのことかも。もしかしたら。