ねーさんとバンビーナの毎日

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オリンピック理念

2021年04月28日 19時02分00秒 | 考えるねーさん
今回ほどオリンピックの意味を考えるきっかけになった回もないのでは。

現状に目をやれば疫病が治りを見せず「開催するな、中止せよ」と声を張り上げる人が大勢いるが、「オリンピックってなんでやりはじめたの?そもそも??」という観点から改めて考える人(調べなおす人)もいるだろうと想像する。

オリンピックの目的として「戦争抑制の為」というのがある。

4年に一度は世界が戦争のない状態を作る」という思想の元にずっとこの祭典が開催されてきた。

これまでに中止になった数回は「戦争を休戦出来なかった」という理由しかない。
「コントロールしきれなかった」ということなんだろう。

今回「延期」となったのは戦争ではなく、疫病で中止を選択してきたことがなかったからのようである。
こちらは人間がコントロールしきれると考えたんだろう。(希望的観測)

しかしフタを開けたら、疫病も最後は「人間の行動や思考のコントロール」に行きつくような感じだ。
昔と比べ医療や薬剤は相当発展しているのにこのさまだ。

戦争がコントロール効かなかったように、疫病までもがコントロール効かないとなると、人間が一番なりさがっていってる気がしてくる。情けない。


どうやら私は間接的ではあるけれども今回のオリンピック開催にあたり縁の下で準備運用に協力することになりそうだ。(結果:はい、お流れになりました。)

「なんでこの流れがいきなりくる?」

「開催するかしないか分からないけど、準備だけはしない訳にもいかず。(イベント業に関わる皆さんがそうだろう)」

という現実が降りかかってきて、

「オリンピックはどう考えても中止しかないじゃん!」

という思考から少し変わってきた。

仮にそうなっても、この現実に関わる意味を考えずにいられなくなっている。

どういう結末になりますやら。


(補足)

コンピュータシステム構築も似たようなもので「導入せんでいい!」っていう反対派がいながら構築が大抵進んでいく。
ホント「反対!」とだけ言う人達の面倒臭さたるや。
それをやろうとしてる側の熟慮や思いについては「そんなのこちらに全く関係無い」という態度を平気で当てつけてくるあたりは「そもそも人としてどうかしてるわな。共感力の欠如は脳に欠陥があるかららしいぞ?気の毒なことに。」と呆れてくることは当たり前にあることなので、怒りもとうに通り越している。
準備が整って(テスト導入前の試作まで出来てから)導入されなかったものも経験値として数回ある。
(コンセンサスを取りきれなかった、反対派のトップに変わってしまった、理念を持って旗を振ってきた方がいなくなったとたんに何となくうやむやに(理念が継承されてはいなかったっちゅーこと)、、、などなど。)
が!
こちらはやった分の賃金は頂いてきたのと(この点は揉め事に発展したことはないな。)、こちらの経験値(スキル)は確実に上がるので(依頼主側で動いてきた人たちだって同じ)、「どうもありがとうございました!(いやホント!)」なのである。
「反対」だけ言って社会に関わるのは結構(お金では補えない)損をしてることも早く気がついた方が良いと思う。
反対を口にする前に「こうする!」を提示できないのは先々淘汰されちゃうのが世の道理。(時間稼ぎしてください、せいぜい)

あ、そうだ。
準備や先々の計画、協力した人への報酬がうやむやなまま(報酬=位だったな。しかも権利はうやむやな。)突き進んでいってしまったあの重大な改革プロジェクトは8年後に死人が出ました。(本当です。未だ残念で仕方ないです。空を見上げては「どう振り返ってもアレが今の日本の成れの果てだよ?どう思う?」と亡くなった彼に問いかけること、あるのよねー、私。)
あれと比較すればオリンピックはまだ準備や計画は存在してる風に見えます。

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