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やっぱりモリマリ20111006-08

2011年10月06日 21時38分34秒 | 紹介屋ねーさん
吉行淳之介の「夕暮まで」(桃井かおり)を見たが傑作である。

私はその小説をまだ読んでいない。
大変に自惚れた考えだが、吉行淳之介の「夕暮れまで」を読んで、(こんな素晴しい小説が既うあるのでは私なぞが書いたって仕方がない)と思うのが恐怖で、読まないのである。



吉行淳之介って人は一言で現すと「助平のオジサン」って感じかと思う。(ハハハハ・・・)
晩年は、「ねむの木学園」の園長をやっていた宮城まり子さんに寄り添ってた人ですよね。


この「夕暮まで」はモリマリさんを辿ってよく出てくるオジサンの作品で、3年ほど前に読んだんだが、「このスケベジジィ!」と一言で済ませられない感性がある感じなのだ。
読みすすめる度に、その場面の風景が浮かんでくるんだけど、カラーではなくて、かと言って、モノクロでもなくて、西日に当たってる感じっていうか。
何だろうね、女性をすごい高いところに置いてる感じというか、「男性は所詮は女性以上に優れることのできない」のを知ってて女性を試してる男の人っていうか。


※渡辺淳一のほうがどうも性に合わない。
 「(実は)欲求不満の吐き出し方をしらない人の性」みたいな感じがするっていうか。
 「性のむき出し感」が実にカラーすぎて、えげつなくてイヤなのだ。
 (失楽園とかキラ~~イ。時代には(わかりやすくて)あってたのかしらないけど。)


いや、男性たるや(いや女性であっても)「助平」でないほうがオカシイってより、「何か人間(所詮は動物だ)として欠損してる」くらい言いたくなる。


「セッスクがキライ、でも子どもは欲しい。」とか、平然と口に出して言ってる人を見かけると、別に説教まで垂れる気にはならないが、「虚しい・・・おぞましい・・・・なんちゅう身勝手な欲望・・・・(子も気の毒・・・)」って感じがする。

「キライ」なのを「欲の為に一時○我慢(×犠牲)する」っていうのがおぞましい。



(こんな素晴しい小説が既うあるのでは私なぞが書いたって仕方がない)と思うのが恐怖で、読まないのである。

この感覚、すごくわかるわなぁ。
「降参させられる」とか「諦めをつけさせられる」のって薄々わかるじゃないですかね。
そういうのを先送りにさせておいて、自分をもう少し試したい感覚。
わかるんだよなぁ。
結果は「やっぱりそうでした。」であってもね。





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