ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

記憶をリセット。

2011年11月29日 14時42分01秒 | 考えるねーさん
TBSの「ホンネ日和」に槇原敬之の従兄弟のローリーが出てて、こんなことを言った。


「全ての人間の記憶を一度リセットできたらいいですよね。」


ローリーの意図したところは、「そのほうが何もないところからみんなでやり出せるジャン!」ってことよりも、「人それぞれの記憶ってものが、ものごとの思考を混乱させてんだよなぁ・・・」ってことなんじゃないのかねぇ?
そんな風に考えて「納得する部分あるよなぁ・・・」って思いながら観てたんですが。


記憶が消えてしまえばそれはそれで大変に重度な障害になってしまうので、消えてしまうのはマズイのですが(基本的にはあり得ない)、排他処理っていうか、消化処理っていうか、そういうのはしたほうがいいかと思う。


それには、書き出すんです、書き留めるんです、うん、ハイ。


書き出したり、書き留めると、「記憶」ってより「記録」になるから。
「記憶」のままに留めておいて、そこに重ねて次のものごとを考え出すと、混乱しだすんですよねぇ。
その人の中でいくら仕分けされてようが、例えば、人を巻き込んでいくような時には、混乱させるんですよねぇ。


とりとめなくなりすぎていっちゃうっていうかね。


あったことは「記録」に残しておくと、それはデータベースになりますんで。
「記憶」だけしておいてもデータベースにはなってないんで。



「記憶ってあんまりないんだよね・・・」って人は、日々(村組織のルールとか、ものごとの手順の)「「暗記」に必死になってる(遅れを取らないように、必死にしがみつくために)」ってこと、ないでしょうかね。
そういう風に見えること、案外結構あるんだよね。
その癖付けって自覚できたらできるだけやめる方向に持っていった方がいいかと思うんだけどもね。(絶対に楽になるって。)

この記事についてブログを書く
« 「独裁」と「独断」 | トップ | 「比較する」と「並べる」 »