ねーさんとバンビーナの毎日

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再読。室生犀星と森鴎外。

2012年01月24日 18時49分48秒 | 味わうねーさん
読むべ、読むべ。

森茉莉も読むべ。


室生犀星は森茉莉のエッセーにもよく登場するんだよねぇ。
家に遊びに来てたみたいだし。


それまで特に整理されてなかった日本語を整理したというか作った人だしね、森鴎外は。
カタカナ言葉を使い出した人っていうかね?森鴎外。
森茉莉も自慢だったみたいだしね。


で、夏目漱石ってのは、新しい言葉を嗅ぎつけるセンスがあった人ってこったね、多分。



太宰治や宮沢賢治は感性は独特。

それが「ダメ、キライ」とか言うヤツではなくて、人がなかなか届けない感性に届いちゃってるところに「わかるんだけど、自分にはちょっと抱えきれなくて、、、、ムリです・・」って人が出てくるようなやつ。

オバチャマ個人は宮沢賢治に対してはそれはなかったんだけど、友人(すっかり疎遠)には「わたしムリ!」がいた。(笑)
その友人(すっかり疎遠)誘って98年くらいに岩手の宮沢賢治めぐりしちゃったけどね。(笑)
でも、小岩井牧場(動物・運動・食べ物)とか遠野の河童も組み込んだから、なんとかなったんだろう。(笑)
宮沢賢治の物語を表現した公園があるんだけど、ここも結構、楽しめた。

で、太宰とか宮沢っていうのは、「難しくて理解できません。」ってのと違うヤツなんだよね。
それならば森鴎外とか室生犀星のほうが○難しくって(×ややこしくって)しゃーない。

やっぱりあの感性ってのは、東北の厳しい自然や環境が生むモノなのかもなぁ。
それを幼少からず~~~~~っといつも観て感じてると達するの。



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