ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

悩みたくないから楽しいことを掴みにいく。

2012年01月05日 16時19分10秒 | 味わうねーさん
昨日のさんまの「ほんまでっか?」で。


「哀しいことがあった時にそれを抱えこむか、抱え込まないか?」っていう質問があって、抱え込む4人、抱え込まない2人、こんな感じに分かれた。


TVの中のさんまは当然のように「抱え込んでもしゃーないから、次の楽しいことをみつけにいくやろぉ?」と言ってる。


「あ~、オバチャマも2000年まではそうだったでぇ。そういう考え方をあえてしては走ってたぜぇ、でも抱え込まないとどうしようもならない時ってくるんだぜぇ・・・」と思って。


心理カウンセラーの人がいうには、「やっぱり哀しいことでも抱え込んで悩んで悩んで悩まないと解決も解消にもならないから。」って言った。


「ほらね、やっぱりね!」と思った。


「次の楽しいことを見つけてそこに入れたとしても、経験した哀しいことが解消した訳ではありませんから。だからふとした時にすごく落ち込んだりするんですよ。」って心理カウンセラーは言った。


「ほらね、やっぱりね!」と思った。


でも、振り返って考えてみると、次の楽しいことにすぐ切り替えられる時って、そこまで哀しいことを経験した訳でもなかったのかもなぁ。
イヤなことは沢山経験しても、哀しみまではいってないの。


オバチャマは「もうこれは自虐に入っても悩みきろう、附にオチねぇ。遅れを取ったとしてもいいや。最後の帳尻は合うんだから。」と腹を括ったのは、2000年の頃に同僚(年齢1こ上)が死んでしまった時かな。
自殺ではないんですがね、ありゃ(期待を背負いすぎた)過労だよなぁ。
この同僚のことが好きだったとかそういうレベルの話しじゃなくて、「この同僚が死ななきゃいけないようなこんな社会がまたマジで始まってしまった・・・それに足をかけた会社にいちゃって、最初のほんの駆け出し時の手助けまでしちゃったんだ・・・」っていう哀しみからかなぁ。
世の中は再度のITバブルみたいなもので80年代のバブルとは違う別の浮かれ(狂い)気味だったけど、当時はイライラムカムカして仕方がなかったもんなぁ。
「悩みきる途中経過には「怒り」は経過するもんだなぁ・・・フフフ、自分を客観視、客観視。でもそのまんま現実を行くぜ。」って思ったわ。

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