ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

人と人の間に立つこと

2010年03月10日 11時35分33秒 | 考えるねーさん
この役割が子供の時からなんだか多いオバチャマですが、「人繋ぎの役割は未年生まれの宿命」みたいなので(統計学でいけば)、面倒臭くても諦めはついてる。(かなー(笑))


例えば、Aさんに、

「Bさんと会わせて欲しい」

と、お願いされたとする。


AさんもBさんもオバチャマが親しくしている人だ。

AさんはBさんを充分良く知らないけど、何か興味なり親しくしたいと感じて、オバチャマに頼んでくるわけだ。


Bさんの傾向やら状況をある程度把握しているオバチャマは、

「うーん、もしかしたら会わない可能性ありだなぁ…」

という答えを弾き出す。


オバチャマはその時点でAさんに、

「ちょっと無理だと思います…。」

とか、

はたまた作りのウソまでついて、

「(確認もせず)確認したんですが長期出張するそうで…」

とか、

そういうことは言わないことにしている。


「AさんとBさんがどうするかの問題」だから、仮にBさんに咎められようが、オバチャマ判断ってのは先にしないことにしてる。


ひとまずBさんにダメ元で、

「Aさんが会いたいそうなんですが、ご都合いかがですか?」

と尋ねることにしている。


AさんもBさんもオバチャマにとって敵ではない訳で、「オバチャマの一存で判断してその出会いの場を整理することではない」と解釈している。
オバチャマが主体で何かことを動かしてるとか、そういった中の話でもない限り、オバチャマは中立に立つ。

別にBさんに「面倒臭いヤツだなぁ…」と思われても、それはそれで仕方がなく、また、べつにそう思われることを「どうのこうの…」と思わない。
「ったく、ちっちぇえなぁ。」くらいか。(ウハハハ…)


いくらその時のBさんの傾向やら状況をある程度察していたとしても、オバチャマの役割はBさんに、

「いかがですか?」

と、問い合わせるしか出来ないのだ。


とにかくAさんはオバチャマに興味があるんでなくて、オバチャマと繋がっている先のBさんに興味を抱いている訳だ。
だから「オバチャマが断ることはない」と判断している。


Bさんは会いたくなけりゃ「悪い、忙しいから時間がないって言って欲しい。」と言ってくれりゃ済む話な訳だ。


これはオバチャマの独特?のさじ加減で、先方から先に具体的な用件内容の提示がない時は、特別な指示(「この期間は全て未然に断ってくれ」とか、「こういう案件は未然に断ってくれ」とか。)が発令されていない以上、「会いたいとのことなのですが…」で様子を伺うことにしている。


会う前に案外内容を気にする人なら「どんな件なんだろう?」と問うてきますし。


「確認しておいたほうがよろしいですか?」と聞いて、「確認してくれ。」と言われれば確認するし、「いや、確認はいいよ。」ならばそれまでですから…。


子供の頃から「あっち顔出し」「こっち顔出し」だと、「どっちの味方なの?信用なくなるぞ?」的に問い詰めてくる風な人が必ずいて、あれがどーにもこーにも「信用ってわかってないんじゃないの?子供っぽくて馬鹿みたーい。(あー、やだやだ。)」と本気で嫌気がさすオバチャマは自然と離れるしかなくなるし、こういう人らだといくら仲間に迎えてくれようが「信用する対象にはなかなかならない」のであーる。

だって、潜在意識として実はまるで信用してないから問い詰める風になってしまってるんだから。


しん‐よう【信用】
1 確かなものと信じて受け入れること。
2 それまでの行為・業績などから、信頼できると判断すること。また、世間が与える、そのような評価。



誰かは言った。

世の中の人は人を信用することを諦めちゃってる人がほとんどだから、
無理強いはやめた方がいいよ。


と。


実は「無理強いされている」という「強迫観念があるだけ」で、
なんてことはなく「ゴメンね。」と断ればいいだけの話しで、
断りベタの気質から信用することが面倒になってるってだけの話しで、
単に「断ればいいだけ」の話しで、「断られたら後は無理強いしない」ってことの話しかと思うんだよね。





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