ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

12年前のブログを読み返していたら思わず吹き出した。

2021年05月01日 21時49分56秒 | まんまねーさん
「2021年の今年の運気と同じ12年前ってどんな風だったっけか?」と思って、自分のブログを読み返していた。

この頃は職場で「20代から30代の若い男子に囲まれていた時期」でなかなか毎日大変だった時期だ。

社会に出てからというもの年上(昭和20年から30年代生まれの方)とばかり仕事を続けてきていたから、年下と直に仕事をする「妙~な感じ」に常に味わってきていない違和感というか(置き換え言葉(流行り言葉)の乱用に「(なんか)イラッ」とするような感じとか(笑)、ゲームや漫画(それも昭和時代とは確実に違う感覚)の話題がやたら多い感じとか)、自分も感覚を変化させないといけない時期(それももう終焉頃かぁ)だったというか。)

しかも会社(ファンキーオヤジ)がかき集めてくる若い世代がこれがまたなかなかツワモノばかりで「しょえぇぇぇ、よりにもよってこんな奴らばっかり(笑)(褒めてます)」って感じで。

(あの当時の流行りの「大学までレールの上をすんなり来たような理数系強めのすでに側が出来上がってしまっているような使いやすそうな良い子ちゃん」系は皆無っ!!会社としては“あえて”そうしていた訳で。)


2009年1月10日の日記にこんな記録があって思わず吹き出し大爆笑。

以下、抜粋

ね42:なんだか私もさ、昔のがホントの自分なのか、今のがホントの自分なのか良くわからなくなってきたぞ~ははははは~

男子25:いつ頃がちゃんとしてたんですか?

ね42:(あ、コイツ、なにげに失礼なこと言ってる)



爆笑してしまった。笑笑笑
あの当時にかき集められた若者たちはホントに大人に対して“なかなか”で面白かった。(笑)









日本百貨店しょくひんかん

2021年05月01日 18時45分00秒 | 掘り出ねーさん
秋葉原の高架下にある「日本百貨店しょくひんかん」でノリで買った「なみえ焼きそば」がヤバ美味しい。



(購入したのは「めんの旭屋」さんのもの。ソースは「三栄フーズ」とある。麺もソースもヤバ美味しい!!)

これはまた買いに行くだ!

知りすぎると逆に何をしたいかわからなくなる

2021年05月01日 14時26分00秒 | 考えるねーさん
知りすぎると逆に何をしたいかわからなくなったりするから知りたくないの。



とある知人が言った。

まぁ世に対する表向きの体裁ではない、ホントの裏事情(本来のカラクリ)関係の情報を指しての発言だった。


私もなんだか知りすぎてしまった感があって、それは「知りたくないの〜」と言ってる隙間がない、「そもそも(裏というより奥の奥というか)」に関わることが何故か幼少期から多く、社会人になってもそんな経験ばかりで、正直「ゲンナリ」することはあるし、世間はそれぞれが自分の解釈したいように成り立っているから矛盾は当たり前に生じる訳で、そこにも「ヤレヤレ」「なんだかなぁ」と感じてしまうことが多い。


ついこないだ人生の先輩とこの話題になった。


この人生の先輩も「そもそも」どころか「何十年も前の耕し期」くらいから世の中を関わってきてるから、ある程度世に見えてきてからの演出ごとで「実はそうしてるだけなんだよね〜裏はこうなんだよ〜」なんていう、よくいがちな「知ってる君、知ってるさん」気取りな人たちをはるかに超越してしまっている。

私は行き着くところ、こういう種の諸先輩と縁が何故か繋がってしまうので、そこで鍛え上げられてきてしまった。

私は「なんだか知れば知るほど関われることが狭くなってきますねぇ、、、今は特に。」と言った。


そうしたら人生の先輩は言った。

「そうじゃないんだよ。
知れば知るほど自分がやることが明確にハッキリ見えるし判断つくから逆にやりやすいんだよ。
選択肢なんてものは多くなくていいの。
最初から無駄に関わらなくていいこと(好き嫌いの次元のことではなく)がハッキリするから。時間も有効に使えるし。」


そう考えるとしよう。