モノを知らないが為に
モノの自覚がない為に
何も気にせず言動出来てしまうこと
ってある。
こういうのを人は、
「君って幸せものだなぁ」
と、
少々のからかい(イヤミや皮肉)を含めて言ったり、その状態を逆に真に羨ましく思ったりして(知りすぎると簡単には言葉に発したり、動けなくなることはあるわけで)、口にしたりする。
本当に幸せ絶頂な人に「あなたは幸せものだよ」って使ってそうで、あまり言わなくないですかね?
まずは「おめでとう!」とか「良かったね!」とか賛辞を口にするよね。
ラッキー度合いが素晴らしいと真に「幸せもの〜!!」とはいうけどさ。
なので日頃の「あなたは幸せものだよ」って言葉は案外皮肉じみて使われてたりしてるよね。
「逆に知らなくてよかったね」的な皮肉。
しかし今の世の中は「知らない」の意味というか「知らない」の実態が本当に変化してきているよなぁ、、、とつくづく感じている。
仕事現場なんてあからさまだ。
その要因に「物事を知るプロセスが変化してしまったから」と想像する。
コンピュータやインターネットありきの社会へのシフトね。
いわゆるこれまで言われた「「世間知らず」という知らない人」というより、「知ってることがどっちでもいいことで成り立っている一見知ってる風に見えるんだけど実は何にも知らない人」がものすごく増殖している。
「世間知らずの人」に、
「幸せものねぇ」
っていうのは、まだ救われるものがあるが(お育ちがいいとか真面目一本で遊んでない(=社会性がこなれてない)とか)、
「知ってることがどっちでもいいことで成り立っている一見知ってる風に見えるんだけど実はなんにも知らない人」に、
「幸せものだなぁ」
とは、私はなんだか言えない。苦笑
嫌味すぎて毒を吐きたくなるケース(人)以外は無理だ。(コラコラ苦笑)
逆に言えば、今の現代、
「幸せものだね!」
なんて、自分が誰かから言われたら簡単には喜べない。笑
「どの意味じゃ?結構経験は積んできてんぞ、こら!」とムカつくケースもあろう。笑
こないだ知り合いとこの微妙な違いの話題になって、「自分がどう言われがちか?」の記憶を呼び起こして気がついたことがある。
私は「キミは幸せもの!」とは言われた記憶がないのだ。
そりゃ賛辞くらいは言ってもらえてきてる。「おめでとう」とか「良かったね」とかさ。
けれど、その変わりに必ず決まって言われがちなことがある。
そう、
「おめでたい人ね!」
ってやつ。爆笑
父や母からは子供時代からしょっちゅう言われてきたし、今でも何かといえば言われている。笑
知り合いなどからも、
「おめでたいなぁ!」
と、確かに良く言われている。笑
仕事の上でも結構言われている。笑
言われて「ひど〜い!」ってなるかというとそうはならず、
「いいだろ〜ぅ!?笑」
って言い返している私。
だってわざとだもの。
人生は芝居ですもの。
演技力以上に芝居を演じてるようなもんじゃございませんか。
そこの境目を改めてみたら、
「幸せものね!」
って皮肉より、
「おめでたい人ね!」
って言われる方が、
ナンボか明るくて楽しくて楽観的で救われていいじゃないか!!
と、思い直したのである。
こんな風に自分で自分にポジティブに捉えてあげるあたりも母に言わせれば、
「おめでたいわね〜!」
なんだろう。笑
「死ぬまで“おめでたく”活きたい」と改めて心に誓う2020年春である。