ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

敬虔ともう信

2019年06月25日 22時16分00秒 | 2種分ねーさん
敬虔(けいけん)
うやまいつつしむ気持ちの深いさま。特に、神仏を深くうやまい仕えるさま。
「敬虔な祈り」「敬虔の念が深い」
 
 
妄信(もうしん)
むやみやたらに信じること。
「記事を妄信するな」
 
 
盲信(もうしん)
わけもわからず、ただひたすらに信じること。
「権威の説として盲信する」
 
 
こないだ知り合い及び母親と、
 
敬虔な信者だったそうなのよ、、、
 
会話の中にこんなことを言う機会があった。
 
 
私のこれを聞いてお二人とも即答。
 
それは敬虔な信者じゃないわ。
もう信してただけね。
信じて貫いてることは間違ってるわ、、、
 
 
信じている側は敬虔な信者と自分を信じているが、教えを倫理面から客観視する側からすると、単なるもう信してしまってる人、、、となる。
 
ご両人とも、
 
それが身内なら叩いてでも目を覚まさせるわね。間違っているから。
 
だった。

手段が上回っちゃいけないよ。

2019年06月25日 18時39分00秒 | 伝われねーさん
目的より手段が上回って何かを成そうとするとそれは先々間違っちゃうから。
 
 
社会に出てから人生の先輩から聞かされた言葉。
 
 
仕事を受注したり、受注した仕事を進めていったりする中で、現状に焦ったり、何か小手先の花火を上げたくなったり、考えることに面倒臭くなると、人って手段に頼りがちに。
 
そうすると必ず聞かされた。
 
ダメだ、手段が上回ってる。
この目的はなんだった?
 
と。
 
 
仕事をしてきて確信しているのは、相手の要望や興味の確信を突いたものを提示できた時は、必ず前のめりになる、ということ。
 
こちらが促さなくても身体が前のめりになるんだよね。
手を出すとかじゃなくて身体が前のめりになる。
 
なんのリアクションも取れないのは、提示した相手を間違えてる。
そもそも目的が違うところにあるんだろうってこと。
手段欲しがりは身体が前のめりにならずに手を出してきたり、話に割り込んできたりするんだよなー。
 
 
こういう経験は子育てに応用できるんだろーな、と、感じたりしながら仕事してますな。
 
 
子どもはいませんが。苦笑