ねーさんとバンビーナの毎日

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今年のノーベル賞から引き出された思い出

2018年10月17日 18時20分29秒 | 思い出ねーさん
先日のノーベル生理学賞の受賞挨拶の際に、日本学術振興会の方々、●●の方々、●●、、に感謝する、というような、感謝の言葉をのべられたが、


うん?あれ??日本学術振興会、、、
あーっっっ!!!
え?なんで学振??


と、私は2000年の頃の仕事の記憶が蘇った。


当時大変お世話になっていた得意先有名企業の方がAVCC(高度映像情報センター)という財団法人に籍を置いていて(この名前になった時期に籍を置いていたんだわ。)、「学術振興会からの相談に乗って欲しい」っていう頼み事が舞い込んだのでした。


相談のお題は、

「某●●●(どうせ実設定は孫請けくらいがやったんだろう)に組んでもらった無線LANが全く繋がらない、見て解決して欲しい。ルーターのパスワードもわからない状態にされてしまったのでハッキングからお願い!!本気で困っている。」

ってことで(うちらは失笑(爆笑))、

その件は「ネットワークのことならなんでもお任せください」の技術者の上司が面倒を見て解決したわけなんだけど、

(ハッキングしてくぐり抜けた後、色々接続の検証したらゾーンが切られてなかったそうだよ。某●●●(孫請け?)、何してんだか?笑、あの頃はまだまだ無線LANは出始めの頃、よくわからないまま設定完了しちゃったとか?)、

しばらく学術振興会に顔出ししているうちに、「データベース(当時ファイルメーカーで構築されてましたわ)の面倒も見てほしいって仕事貰ってきたから見てやって!」と仕事を渡されて、不具合解消やら改良を施したのでした。それが私が抱えた仕事だったわけです。

データベースを改良しながら「へー、世界には学者が沢山いるもんだねー、日本にも沢山招聘されてるんだー、動いてるお金もう〜わぁ〜」ってのを知ったわけですがね。


こないだのノーベル生理学賞で2000年頃の仕事の記憶を蘇らせていただきました。


あれも今となってはいい思い出、この当時、麹町上智大近くの学術振興会を始め、ニューオータニ近辺の海運業界の企業(大変お世話になりました。)やら社団法人(開発したソフトウェアの説明会をやらせていただきました。あれも思い出深いですなー。元伊豆急社長がうちの会社の顧問に就任した直後、●●さんも意気込みハンパなく。のちにロンドンの商社(アメリカの商社)からのオファーにもつながっていく展開に。ちょー大変だったけど実に楽しかった時期だわ。)をうろちょろしてたんだなー。