ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

愛国精神やら愛社精神やら。

2017年03月09日 12時18分35秒 | 考えるねーさん
私は勅語を暗唱しなきゃならない環境にいた経験がない。

あ、去年いたとある外食産業のとある企業では毎朝あったな。
「うっわー、冷や汗、、、」みたいな。笑

ここのところ、関西の幼稚園の件で「教育に関する勅語の暗唱」が取りざたされているが、幼い幼児が暗唱してようが、大人達が暗唱してようが、

「新興宗教の洗脳現場か!?」

っていう風は否めない。

現に私が去年いた外食産業のとある企業で、偶然にも同級生の娘が大学時代にバイトしていて、

「ママ、やっぱりあのお店は変だと思う。
店員もお客さんも洗脳させたいみたい。
やめる事にした。」

と、伝えてきたという話題を聞いて、「うわ、やっぱり!」「私、ホッとしたのよ。」と盛り上がったこともあった。


もしも愛国精神やら愛社精神を育みたいなら、勅語暗唱によって育まれるはずはなく、単に目論んでる側が引きつけておく手段でしかないかと思う。


私の通った私学の高校は無宗教校だったけど、毎週月曜日の朝の朝礼の締めは国旗掲揚だった。

「国旗掲揚、右向け右。」

の号令がかかって、校庭の脇に立つポールに日の丸が上がっていくのを注目しなくちゃならなかった。

♪君が代は流れなかったかと思うが、日の丸は高々と上がっていくのだった。
毎週「日本なんだよな、ここは。」と感じさせられるわけで。

敬愛、誠実、自主の精神の女子校。
女子の自主性を大正時代から唄っていたわけだけど、礼法の授業が週一設けられていて、マナーや躾にはうるさかった。
そこも日本の精神を学ぶ時間だった。

勅語で縛っておくのか、躾や教育面でジンワリ浸透させるのか、どっちがいいって決まってないかね?