ねーさんとバンビーナの毎日

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原因を追及しないまま対策ばかりを追及する妙

2013年10月13日 13時29分51秒 | 考えるねーさん
よくあることなんだけど、何か問題なり、不具合なり、事故や事件が起きたとする。

すると原因を明確にしないまま、「対策がどうなっていたか?」論を進めてしまうやり方に陥りやすい妙。

原因を明確にしなけりゃ、「対策がどうなっていたか?」とか「手落ちがなかったか?」とかワーワー騒ぎ立てたところでホントに仕方がないんだけども。


怖いのはそこだけをつついてしまえば、その不手際ありきで原因を捏造されかねないってこと。


例えば火災が起こりました。
防煙設備に不手際がありました。
しかしホントの原因は侵入者のタバコの不始末(投げ捨て)でした。
なのに表向きの原因は激しく燃えているあたりにあった機材の漏電と断定。
防煙設備の不手際、配線のメンテナンスの不手際がけしからん。(非難の嵐)


例えば撒いた種が芽を出しませんでした。
水やり、肥料やりに不手際がありました。
しかしホントの原因はそもそも芽を出せない種だったのでした。
なのに表向きの原因は、水やりと肥料やりの間違えと断定。
管理方法がけしからん。(非難の嵐)


これじゃおかしいやろ。


無意識にやってる人たち多いんだよねぇ。(テレビの中のコメンテーターとかさぁ。これは「わざと」もあるだろうが。)
原因追求は○面倒臭い(×ややこしい)からだろうね。


だけどその面倒臭いをやらないから、おかしくなるのだよなぁ。(表繕いだらけで。)



パソコンの不具合なんかも、原因に気がつけない人は、OSやらアプリ、システム担当のメンテナンス対策ばかりを責めがち。
「自分の使い方のまずさ」にまず向き合おうとしない人ほど、やたら妙な不具合が頻繁するのだよ。(マーフィーの法則だわな。)
奥で「あぁまたあの人のヒューマンエラーっすかぁ…付き合いきれない…」と言われてるのに気がつきましょう。