「足し算」と「掛け算」は違うんです。
なぜかと言うと、ドラマを作ろうとする監督が違うからです。違う監督さんなんです。
つまり「足せ」という命令を下すこのプラスの監督さん、
この監督さんは、ね、「手を繋ぎなさい」と命令してる、そしてそういうドラマを作ろうとしてるんです。
ところが「掛け」。
この「掛け」という監督さんは、役者さん二人に違う役を与えて、新しい何かを生み出しなさいと、ここ(数式の×記号のこと)で絶叫してるんです。
だからこんな風に勘違いすると(2×3を2+2+2と説明したりすると)怒るんですよ。
金八先生の台詞より。
「掛け算が出来る二人」ってのは「主役(花形)二人」じゃダメなんですよね。
「主人公(花形の必要無し)二人」か「主役(花形)と脇役(添え物)一人づつ」じゃないと。
てことはつまり自覚出来てる二人じゃないとダメなのよねん。
自覚出来てるっていうのは別にだから「それが主役(花形)だ」ってことじゃなくて、
この物語の中で自分の立ち位置や役回りがどこなのかが「自覚できてるか出来てないか」っていうか。
掛け算ではマイナスとマイナスを掛けたらプラスになる、マイナス同士なのにプラスのドラマ展開になるんですよね。
そこが面白い訳ですわ。
「主役」だけ集めてるとなかなか両隣と手を繋ごうとしませんわなぁ。
「主役」ですからみんなが「自分が一番」ですや。
だからそれを足し算で「(ひとりひとりになってないで)手を繋ぎなさい」ってやるしかないはずなので、
「新しい何かが生まれる」ってよりも「輪が広がっていく」「仲良くなっていく」っていうドラマになるしかないですよねぇ。
プラスにマイナスを足してもマイナスになっていく、足し算なのにマイナスのドラマ展開になってしまう。
こうなると「マイナスになる「マイナス」が悪い!「プラス」になれっ!!何でなれないっ!?」と責める人も出てくるでしょうね。
なんだか全然平和じゃありませんよね。
「マイナス」だって、それだって、ひとつの個性であり、ひとつの立派な要素になれるんですからね。
仮に引き算だったらマイナスからマイナスを引いたらひらすらマイナス、マイナスのドラマ展開にしかならない。
てか、今っていうのは明らかに「足し算引き算の時代」ってことですかね。
まだ小学1年生レベルですね、これじゃぁ。ハハハ。
みんながみんなプラスになるように仕向けて行って、
「プラスとプラスを足し合って行ったら大きくなりすぎちゃった、いけねぇ、マイナスするか。」っていうかねぇ。
「マイナスとマイナスでも掛けてプラスにしよう」の「掛け算」の意識が無い訳ですから。
足し算意識しかないからマイナスとマイナスに対しても足し算しか出来なくて結局マイナスしか導けない。
「あーあ、やっぱりマイナスってのがそもそも悪なんだよ。」ってこうなっちゃうでしょう。
「掛け算」が出来るようになったら大したもんなんだけどなぁ・・・と思うんだけど。
第一面白いし、豊かになるんだけどなぁ。
何かを生み出すんですよ、面白いでしょう。
マイナス同士でも何かを生み出せるのさ。
まぁだけど掛け算をする時は物語全体の話が固まっていて意識できてないとダメかもね。
受け売りしてるといつまでたっても「足し算引き算しか出来ない」かもね。
なぜかと言うと、ドラマを作ろうとする監督が違うからです。違う監督さんなんです。
つまり「足せ」という命令を下すこのプラスの監督さん、
この監督さんは、ね、「手を繋ぎなさい」と命令してる、そしてそういうドラマを作ろうとしてるんです。
ところが「掛け」。
この「掛け」という監督さんは、役者さん二人に違う役を与えて、新しい何かを生み出しなさいと、ここ(数式の×記号のこと)で絶叫してるんです。
だからこんな風に勘違いすると(2×3を2+2+2と説明したりすると)怒るんですよ。
金八先生の台詞より。
「掛け算が出来る二人」ってのは「主役(花形)二人」じゃダメなんですよね。
「主人公(花形の必要無し)二人」か「主役(花形)と脇役(添え物)一人づつ」じゃないと。
てことはつまり自覚出来てる二人じゃないとダメなのよねん。
自覚出来てるっていうのは別にだから「それが主役(花形)だ」ってことじゃなくて、
この物語の中で自分の立ち位置や役回りがどこなのかが「自覚できてるか出来てないか」っていうか。
掛け算ではマイナスとマイナスを掛けたらプラスになる、マイナス同士なのにプラスのドラマ展開になるんですよね。
そこが面白い訳ですわ。
「主役」だけ集めてるとなかなか両隣と手を繋ごうとしませんわなぁ。
「主役」ですからみんなが「自分が一番」ですや。
だからそれを足し算で「(ひとりひとりになってないで)手を繋ぎなさい」ってやるしかないはずなので、
「新しい何かが生まれる」ってよりも「輪が広がっていく」「仲良くなっていく」っていうドラマになるしかないですよねぇ。
プラスにマイナスを足してもマイナスになっていく、足し算なのにマイナスのドラマ展開になってしまう。
こうなると「マイナスになる「マイナス」が悪い!「プラス」になれっ!!何でなれないっ!?」と責める人も出てくるでしょうね。
なんだか全然平和じゃありませんよね。
「マイナス」だって、それだって、ひとつの個性であり、ひとつの立派な要素になれるんですからね。
仮に引き算だったらマイナスからマイナスを引いたらひらすらマイナス、マイナスのドラマ展開にしかならない。
てか、今っていうのは明らかに「足し算引き算の時代」ってことですかね。
まだ小学1年生レベルですね、これじゃぁ。ハハハ。
みんながみんなプラスになるように仕向けて行って、
「プラスとプラスを足し合って行ったら大きくなりすぎちゃった、いけねぇ、マイナスするか。」っていうかねぇ。
「マイナスとマイナスでも掛けてプラスにしよう」の「掛け算」の意識が無い訳ですから。
足し算意識しかないからマイナスとマイナスに対しても足し算しか出来なくて結局マイナスしか導けない。
「あーあ、やっぱりマイナスってのがそもそも悪なんだよ。」ってこうなっちゃうでしょう。
「掛け算」が出来るようになったら大したもんなんだけどなぁ・・・と思うんだけど。
第一面白いし、豊かになるんだけどなぁ。
何かを生み出すんですよ、面白いでしょう。
マイナス同士でも何かを生み出せるのさ。
まぁだけど掛け算をする時は物語全体の話が固まっていて意識できてないとダメかもね。
受け売りしてるといつまでたっても「足し算引き算しか出来ない」かもね。