ねーさんとバンビーナの毎日

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今日突かれたお言葉・その110

2010年01月28日 08時19分42秒 | 突言葉ねーさん
役者も、そこに無いものを描き出して見せるが、噺というものはそこにないものを、客の目に見せる芸である。情景や人物が見えて来なくては、「噺」ではないのである。



森まりさんより。



役者でなくても、噺家でなくても、こういう人はいるんだよね。
やっぱりこういう風味感が「何か」妙にひきつけるんだよね、人を。


「デジタルな何か」とか「リッチ感のある何か」を創りだそうとした時、この「そこに無いものを描き出してるような」とか「情景や人物が見えてくるような」とか、そこがおざなりになりがちで、妙にクールに洗練されちゃうか、すでに当てつけがましく情景や人物まで特定してるような、なんかこう「イマイチ自分から愛着が湧かないもの」になっちゃうんだよね。

それに頼らなきゃいけない状態にさせられてる感じが無性に「うわ~、いいから解放させてくれ~~」って気分にさせられる感じ。


ちなみにオバチャマ的には「Google」っていうのがこちらに括られるんだよなぁ…。

いや、なかなかスゴイと思うんだけど、なんかこう触っていて、「別に~(シラッ)」と沢尻エリカ様の台詞を吐き出したくなるの、ないですか、みなさん。


今やってる「さがそう」ってコマーシャルも薄いんだよなぁ。

塩味がなにもない頼りない味のスープでも飲まされてる感じがして、チャンネル回したくなるのは、オバチャマだけか。

大変勉強がよく出来る秀才君の妙な親切心(あれ単なる自己陶酔とか虚栄心じゃないのか?)で、レクチャーされてる感じが、

「う~ん、非常にありがたいんだけどさぁ、押し付けがましい感じってやつの「感じ」をわかってないかなぁ?」

と感じるのはオバチャマだけか。


多分ね、要するに、そこに無いものを描き出したり、情景や人物が見えてくるような噺ができるような人が、開発してないんだと思うのさ。