ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

信じられない人たち

2013-04-08 | ちょっと一言
加藤登紀子さんのトークショーを聞きに行った。京都の小さな町家で、膝をつき合わせるようなトークだった。ご主人である藤本さんのことなど、個人的な話しも知らなかったことが多くて面白かったが、彼女の語ったことで印象に残ったのは、レイチェル・カーソンの沈黙の春が出版された後、ケネディ大統領はそれを読んで、アメリカ国内での農薬の規制を始めたということ、そして、その翌年以降、アメリカが国内で使われなくなった大量の枯れ葉剤をベトナムの大地に降り注いだと言うことだ。そして、それと同じ事が、アメリカが国内での原発の新設を抑制した後に、日本に原子力の平和利用と称して原発の輸出を強力に進めたことだ。危険なものは外国に押しつける。国内の原発運転で処理に困った放射能汚染物質を劣化ウラン弾に加工して、東洋人やアラブ人に向けて使う。これも同じ考え方なのだろう。そして、障害を持った子供たちが苦しみ続ける。

同じ事を日本がやろうとしている。アメリカのまねだろうか。日本の原発が悲惨な事故を起こして、これから日本では原発は抑制的にせざるを得ないという状況を見て、これからは原発を輸出しようとする。危ないものは日本で作れなくなりそうだから、トルコやベトナム、インドなどの国へ輸出して儲けよう。人間とも思えない人間が金儲けのために、そんなことを考える。本多勝一さんが言うように、相手を人間と見ない心がそういうことを推し進める。原発も原爆も、作るものにとって、被害を受ける人は人間のうちに入っていないのだ。だからそういうことができる。人間が被害を受けると思ったら、そんな行為はできないだろう。原爆やナパーム弾や劣化ウラン弾で焼き殺されるものは、人間では無いと思うから、そういうことができる。

 このフクシマの現実を見ていて、原発を輸出して儲けようという日本人がいること、私には信じられない。そんな政治家がいることも、私には信じられない。おーーー。信じられないことばかりだ。加藤登紀子さんの歌を聴く機会はなかったが、お話を聞きながら、私は信じられない人たちのことを考えていた。