ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

サンナシ小屋で、時の流れを知る

2012-04-19 | 花と自然
七ヶ月ぶりにサンナシ小屋を訪れた。春の兆しはたしかに道東の地にも感じられるが、例年と違いその歩みは遅いようだ。さすがに道路には雪はないが、道路を外れれば、まだまだ雪が多い。川の上には氷が覆っている。川の水は雪解けで濁り、水かさも増して、あちこちで小さな洪水が起こっている。例年なら、福寿草が咲き乱れ、日当たりの良いところではギョウジャニンニクが芽生えて、気の早い人たちは山菜採りに入っているころだが、今年は福寿草が少し咲いているだけで、蕗の薹もまだ蕾のままのものが多い。ギョウジャニンニクは影も形もない。

 水たまりには、まだ氷が浮かび、エゾアカガエルは声も姿もない。それでも雪解けは毎日確実に進んでいるようで、歩く道はぬかるみがひどい。長靴なしではとても歩けない。

 サンナシ小屋は、建ててから今年ではや9年目になる。当初は、木の外壁が白々しくて、周囲の風景から浮いていたが、その外壁も黒く色が変わり、小屋の姿が周りの風景にとけ込んでしまった。それはそれでとっても良いのだが、黒くなったのは木が腐朽してきたことも意味する。

 今日は、サンナシ小屋への道でタンチョウの姿を見なかった。いつもなら、2羽で並んで餌を探していて、私の姿を見かけると、あの鶴の一声で警戒音を発して、さらに近づくと大きな羽を羽ばたかせて、みごとな飛翔を見せてくれるのだが。そういえば、水鳥観察館で、今年は雪と氷が湿原の上からまだ無くならないから、タンチョウの夫婦が巣作りができなくてウロウロしているという話を聞いた。この季節の遅れが、タンチョウの行動にも大きく影響しているらしい。今日は、その代わり、オジロワシが珍しく10羽近くも大空を悠然と飛び回っていた。ふだんオジロワシが見られても、せいぜい1羽か2羽程度だから、これだけ勢揃いして大空を飛翔しているのは、さすがに豪勢な光景だ。オオワシも1羽ほど混じっている。

 どろんこ道を苦労してサンナシ小屋にたどり着いて、驚いた。小屋の土台は、太いトドマツの丸太で造っているが、その一つがつぶれている。さらにそのせいで、もう一つの土台も傾いている。つぶれた土台は、どうやら腐朽菌が入ったらしく、中はすかすかになっている。これでは小屋の重量は支えきれないだろう。みごとにつぶれてしまった。9本の土台の7本はまだ問題はなさそうなので、小屋は一応平衡を保っているようだが、つぶれた土台の一番近い窓は、多少変形が始まっていて、開きにくい。

 濃霧で知られる厚岸の気候の中では、9年もたてば、木造のサンナシ小屋がいつまでも原形をとどめていられるはずはないのは、頭で考えれば当たり前なのだが、これまで私が死ぬまでにこのような事態が来るとは、考えてもいなかった。なんとか対策を考えないといけない。とは言いながら、今回はどうしようもない。なんとなく、自分の死ぬときが見えてきたような気持ちになって、帰ってきた。

 もっとサンナシ小屋を使う頻度を増やし、対策も取っていかねばならない。年を取っても若いつもりでいるのと同じように、時間が過ぎていってもそう思わない人間の感じ方が、有無を言わせぬ時の流れの前に、ただただ頭を下げるほかないことを思い知った日だった。