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サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

飯道山の麓で道に迷う

2012-04-09 | 花と自然
遅かった桜もようやく咲きほころび、うららかな気候になった。京都の桜に大勢の観光客が来て、毎年のような賑わいがたけなわである。待ちわびた春に、人間も花もいっせいに動き出した。その桜と人に背を向けて、信楽高原の飯道山に登った。バス、京阪、JR東海道線、草津線、信楽高原鉄道と乗り継いで、距離的に近い割には交通は不便なところだ。

飯道山は、標高664m。低山である。もっとも信楽高原そのものが高原という名前にもかかわらず、わずか200m前後の標高しかない。今年に入って登った山がみんな極めつけの低山ばかりで、山登りという感覚はなかった。今回は前2回よりも少し標高は高い。体が弱っているのかたるんでいるのか、高い山に一気に登る自信がなくなったので、夏の高山登山に向けて、すこしずつでも標高を上げていこうと考えた。その結果の664mだから、2000mを超えるのはいつのことになるやら。

貴布川から歩き始め、飯道寺(三大寺)や日吉神社を通って、登山道を歩く。登山者は誰も居ない。しかし、この日は最高の天気で、朝方冷え込んだが、歩いている内に日だまりでは汗が噴き出てくるようになった。低山登山が暑さで無理になるのもまもなくだ。飯道山観光協会という名前の道標があちこちにあり、道に迷う心配はない。これだけ親切に道標が整備されているのに、ほとんど歩いている人はいないのは、どうしたことだろう。人が来ないので、観光協会が道標を作って人を呼んでいるのかも知れない。だとすると、今のところ効果はなさそうだ。頂上までに2ヶ所ある休憩所も立派な作りの小屋である。でも人はいない。

左羅坂(ざれざか)とよばれる花崗岩のごろごろした道が枯れ沢の横に付いている。沢は枯れたが、この坂道には、水がしみ出している。枯れ沢の奥に、狭い段々畑のような石積みがつづく。場所からしても棚田の大きさからしても、これは稲作の跡では無さそうだ。水は涸れているが、おそらくわさび田のあとだろう。昔はこの沢に、きれいで冷たい水が流れていたのだろうが、いまは水のひとしずくもみられない。気候変動が影響したのだろうか。それとも山の開発だろうか。でも頂上方面には林道の開鑿以外、特別人手が入っているようにも思えない。

頂上には、二つのグループが憩っていた。ここで昼ご飯にしようと楽しみにしていたのだが、狭い頂上の広場の真ん中に陣取っている3人組の男たちが、全員煙草を吸っていて、その煙が頂上の広場のどこに居ても漂ってくる。とてもたまらず、頂上には20秒くらいいて、すぐに下山に掛かった。20分ほど下ったところで林道に出た。日の光がさんさんと降り注ぐ林道の上に座り込み、ゆっくり弁当を食べる。

下りは早い。あっというまに麓の飯道神社に到着した。このあたりの有名な神社らしくて、平安朝の時代の創建だという。ゆっくり見る暇もなく、下山する。信楽の町に出て、信楽高原鉄道の雲井駅を探す。ここで駅の位置が分からなくなって、たいへん苦労をした。というのは、地図を見ながら駅の方をさして歩いていると、道標がある。その道標が左を指している。地図では直進のはずなのに。ちょっと迷ったのだが、道標の言うとおりに左にまがり、駅を目指した。ところがどうもおかしい。それらしい駅はもちろん、線路も見えない。電車も走っていない。もっとも信楽高原鉄道は、一時間に一本しか電車は走っていないので、普段は電車を見ることがほとんどないということが、後で分かったのだが。

変な沢に入り、沢沿いの道をどんどん歩いていると、行き止まりになり、しかたなく目の前の川を渡ると、どうやら民家の敷地の中に入ってしまった。慌てて回り右をして、もとの道標のところまで歩いていると、信楽から貴布川に向けた電車が走ってくるのが見えた。ようやく線路のありかがそれで確認できたが、駅の場所はやっぱり分からない。道標のところに来て、もう一度確認したが、やはり矢印はさっき私が行った方向を向いている。ふたたび道標の指示に従って歩いて行くと、同じところに出てしまう。そろそろ足も棒になってきた。三度、道標のところまで来て、考えた。道標を無視して、地図で考えられる方向を目指そうと。重い足を引きづりながら歩いて行くと、ようやく駅が見えてきた。

どうやら、道標が誤ってつけられていたようだ。新しい道標ではないが、大きくて、しっかりと石柱に取り付けられているから、まさか道標の向きが違っているとは思わなかったのが、敗因だ。親切な道標が整備されているため、ついつい信じてしまった。でも、道標はウソを言ってもらっては困る。だれかがきっと誤って取り付けたのだろうが、これまで誰も指摘しなかったのだろうか。それとも最近、道標が倒れたりして緊急に取り付け直したときに、作業員がよくわからないまま適当に縛り付けたのだろうか。どちらにしても、人騒がせだ。

雲井駅について、疲れた体を癒やす。電車はまだ40分以上待たないとこない。時間繋ぎの本も持って来なかったので、昼寝でもするしかない。うらうらと春の日が差し込む古い駅舎で、いねむりをするのも良いかもしれない。と悔しさを紛らせながら、長い間電車を待った。

信楽には、信楽焼の竈があちこちにあり、民家の軒下には、信楽焼の狸の置物がずらっと並んでいる。車できたら、もっといっぱい見るところがあるのだろうが、駅前を通る巡回バスも、日曜祝日は運休とか。動いていても午前1回、午後1回程度だから、とても観光には使えない。

待ちくたびれて、歩きくたびれて、家に帰った。この程度の山歩きで足がこんなに疲れるようでは、困る。歩けなくなるまでに、もっともっと山を歩きたいから。