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ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

鈴虫姫と松虫姫と宗教弾圧

2013-06-13 | 京に見る歴史
休日に近くの哲学の道を散歩した。桜の季節はとっくに過ぎて、早くも蛍が飛び交う季節となっている。哲学の道から東に登り、鹿ヶ谷を歩く。銀閣寺から法然院を通り、安楽寺の前に来て、足を止めた。いつも門を閉ざしている安楽寺が開門している。掲示を見ると、一年に数回しかない特別開放の日らしい。これはいいところにさしかかったと、さっそく拝観することとした。

 はじめてはいる安楽寺の境内は、静かで落ち着いて庭を見ることができる。落ち着いた書院のたたずまいは好ましく、庭の花たちも風情を誘う。それほど広くはない境内のもっとも奥には、鈴虫姫と松虫姫の菩提を弔う碑がある。昔この二人の名前は聞いたことがあるような気がしたが、どんな物語だったか、まったく思い出せない。そこで、安楽寺のお坊さんの話を聞いてみた。それは、ある意味でびっくりだった。

 この寺の名前は、住蓮山安楽寺という浄土教のお寺である。それは、寺の創建者の住連と安楽という二人の僧侶にちなむ。
今は昔、鎌倉幕府が設立され、武士が政権を取ったばかりの頃、幼い安徳天皇が平氏とともに壇ノ浦で海の藻屑と消えたとき、代わりの天皇に即位したのが、後鳥羽天皇であった。後鳥羽天皇は、鎌倉幕府に実験を握られたことを恨み、なんとか朝廷に実権を取り戻そうと強権政治を進めた。1198年に土御門に天皇の位を譲り、自身は上皇となり事実上の院政を取った。その頃、上皇の側女を勤めていた左大臣の娘に鈴虫姫と松虫姫という二人の世にも美しい姉妹の姫がいた。彼女たちの美しさに、他の側女たちからねたみを受け、さまざまな嫌がらせも受けていたらしい。いつの世も心小さきものの所業は同じなのだろう。二人の姫は、そんな世をのろい、時にちまたの噂高い浄土念仏教に心惹かれていた。ときどき、京の東山で行われていた念仏説法にこっそりと出かけていたという。
1206年、後鳥羽上皇が熊野神社に参宮のため、都を留守にしたとき、二人の姫は館を抜け出し、東山の庵で行われていた、住連房と安楽房という浄土教の僧侶らの念仏説法を聞きに出かけた。念仏浄土教は法然が教えを始めた他力本願を本旨とする教えで、それまでの腐敗した高僧たちの教えに真っ向から反逆し、念仏を唱えればどんな人も救われ、浄土に行けるという教えであり、とくに南無阿弥陀仏という六時礼賛を音楽的に唱える乞食坊主たちの辻説法がちまたの人々の注目を浴びていた。これに既存の比叡山や興福寺の僧侶たちが反発し、法然らの念仏教を取り締まるよう、朝廷にしばしば意見を上奏していた。
その夜、浄土教の説法を聞き、念仏を唱えていた二人の姫君は、やがてその嫌世の気持ちが救われるありがたさに涙を流し、説法の後、住連と安楽の二人のお坊さんに、出家したいと願いでた。しかし、上皇の許可もなく側女たちを出家させることはできないと断ったが、二人の姫君たちは、死をも覚悟の上で出家を願うと涙ながらにかき口説いたため、住連は鈴虫姫を安楽は松虫姫を剃髪し、出家をさせた。二人の姫君は、二人の僧侶を上皇の館によび、夜遅くまでその説教を聞き、ともに念仏を唱えた。夜も遅くなり、二人の僧侶は館に泊まっていった。
熊野神社から帰還した後鳥羽上皇はそれを聞いて激怒し、これを機に、浄土教への弾圧を決心する。法然らの唱えた専修念仏を禁じ、鈴虫と松虫の二人の出家を手伝った住連と安楽の二人を含む四人を死罪、法然を土佐へ、親鸞を越後へ追放、その他多くの門弟を流罪にした。住連は、故郷の近江の国馬淵で捕らえられその場で打ち首に、安楽は京都鴨川の河原で打ち首となる。二人とも念仏を高らかに唱えながら、首を打たれたが、落ちた首はそのまま念仏を唱えていたと言われている。いわゆる承元の法難と言われる事件である。法然は讃岐の国で念仏三昧の生活を送り、4年の後に許されて京に戻るが、2ヶ月後に死亡する。ときに法然、80歳。親鸞は京へ帰り師法然との再会を願うが、法然の死去でそれがかなわず、京に帰らず関東の苫屋で暮らし、専修念仏を伝える。のちの浄土真宗は、それ以後多くの信者を得るが、親鸞は最後まで寺を造らず、草庵で人々を救うために教えを広めた。
以上は、安楽寺のいわれを知って、その時代の仏教の宗教革命との関わりについて、勉強したことである。歴史は好きな分野だが、まともに勉強したことはなかったので、こんな歴史家なら誰でも知っていることにも新鮮な感動を得た。住連山安楽寺の二人の創建者たちと二人の姫君の悲劇も宗教革命の中の出来事と、はじめて知った。これで散歩していた鹿ヶ谷のお寺も見る目が変わってくる。京都は、その気になれば、本当に奥深い。

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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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夏の京都は? (mmadoka)
2013-06-28 22:09:09
8月下旬に大学時代の仲間で京都で集まることになったのですが、哲学の道は夏はどうなんでしょう?
春の桜のシーズンに一度歩いた事はありますが、夏はかなり暑いですよね。
ツアーではゆっくり京都を見られなかったので、暑さ覚悟で一日乗り放題のバスのチケットでも買ってあちこち動いてみようかと思っています。
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夏は暑いですよ (比呂志)
2013-07-01 16:07:07
8月末ねえ。哲学の道、桜の時期、ホタルの時期は過ぎて、紅葉の時期にはまだ早いですね。暑いですよ。強烈に。この時期、人は少ないかもしれませんね。それくらいですか、この時期の取り柄は。もっとも、哲学の道の一筋山側の道(銀閣寺門前から南禅寺に向かう道)は、木立がうっそうとしているところも有り、法然院など、静かで(やや)涼しい?ところもあります。とにかく一番暑いときの一番暑いところですね。8月末の京都は。
 少しでも涼しいところを探すなら、水のあるところをお勧めします。高尾、貴船、嵐山渓谷などがお勧めかも。
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