京都の紅葉は、今週になってようやく見頃を迎えたようだ。もう12月だというのに。温かい秋が続いたので、今年は遅い。気候まで今年は異常だ。もっとも毎年、今年は異常だという年が続いているが。何が異常なのかよく分からないほど異常なのだ。
まだ見られるというので、京都八瀬の瑠璃光院に行った。瑠璃光院の庭はきれいだという話は何度も聞いていたので、一度みたいと思い、比叡山に登る登山口でもあるので、比叡山登山の時にときどき寄ってみたのだが、いつも拝観できませんと書かれて、山門は閉ざされたままだった。どうやら春と秋の限られたときだけしか拝観は許されていないらしい。ようやく拝観可能な期間にあたっていたようで、山門から入ることができた。
このお寺は浄土真宗のお寺だった。私の家の宗旨だ。このお寺でできる写経の経文は、般若心経ではなく、南無阿弥陀仏を唱える真宗のお経で、私が子供の頃、毎朝毎晩聞かされていたお経だった。今でもそのお経をかなりの部分唱えることが出来る。そう言う意味では懐かしいお寺だ。阿弥陀如来も我が家の掛け軸にあった姿が、そのままご本尊として鎮座していた。もっともここのご本尊は立像だ。左足を少し前に出し、体がやや前に傾いているので、衆生を救いに出かけるところだという。同じような話を大原三千院の菩薩たちについても聞いたことがある。本当かしら。
瑠璃光院の圧巻は、やはり庭の紅葉にある。瑠璃の庭と名付けられた庭にいろんな種類のモミジが植わっていて、紅葉の時期が少しずつずれているので、いろんな程度の紅葉が一度に見られる。さらにこの庭をみるのが、瑠璃光院の二階の書院からになっているのが、他の寺とちょっと違う趣向だ。しかもそれがなかなか良い。甍の上に伸びるモミジの紅葉を180度の展望を持つ書院の廊下から、見ることが出来る。そして、見事なモミジの赤い赤い色。視界全面に赤いモミジ。そして、庭の地面は厚い緑の苔の絨毯。この対比がすばらしい。
わずかな時間だが、庭を見ながら抹茶を飲み、のんびりと時を過ごした。秋深し、隣は何をする人ぞ。
まだ見られるというので、京都八瀬の瑠璃光院に行った。瑠璃光院の庭はきれいだという話は何度も聞いていたので、一度みたいと思い、比叡山に登る登山口でもあるので、比叡山登山の時にときどき寄ってみたのだが、いつも拝観できませんと書かれて、山門は閉ざされたままだった。どうやら春と秋の限られたときだけしか拝観は許されていないらしい。ようやく拝観可能な期間にあたっていたようで、山門から入ることができた。
このお寺は浄土真宗のお寺だった。私の家の宗旨だ。このお寺でできる写経の経文は、般若心経ではなく、南無阿弥陀仏を唱える真宗のお経で、私が子供の頃、毎朝毎晩聞かされていたお経だった。今でもそのお経をかなりの部分唱えることが出来る。そう言う意味では懐かしいお寺だ。阿弥陀如来も我が家の掛け軸にあった姿が、そのままご本尊として鎮座していた。もっともここのご本尊は立像だ。左足を少し前に出し、体がやや前に傾いているので、衆生を救いに出かけるところだという。同じような話を大原三千院の菩薩たちについても聞いたことがある。本当かしら。
瑠璃光院の圧巻は、やはり庭の紅葉にある。瑠璃の庭と名付けられた庭にいろんな種類のモミジが植わっていて、紅葉の時期が少しずつずれているので、いろんな程度の紅葉が一度に見られる。さらにこの庭をみるのが、瑠璃光院の二階の書院からになっているのが、他の寺とちょっと違う趣向だ。しかもそれがなかなか良い。甍の上に伸びるモミジの紅葉を180度の展望を持つ書院の廊下から、見ることが出来る。そして、見事なモミジの赤い赤い色。視界全面に赤いモミジ。そして、庭の地面は厚い緑の苔の絨毯。この対比がすばらしい。
わずかな時間だが、庭を見ながら抹茶を飲み、のんびりと時を過ごした。秋深し、隣は何をする人ぞ。